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釈迦澤まさみ(『コンフィデンスマンJP ロマンス編』観たマン)

『コンフィデンスマンJP ロマンス編』を観た。


映画『コンフィデンスマンJP』予告編

 

優越感というのは恐ろしい。それ自体なんの利益にもアドバンテージにもならないのに、不思議と自分に精神的な鎧がついたと勘違いしてしまう。たとえば「あのバンドのライブ箱200のときに見たことあるから」とか「連載第1回のジャンプ保管してるから」とか、エンタメにおいては黎明期から見てたという時間的貯蓄がそのひとの気持ちをいやに膨らましていく。

 

今回見たのは『コンフィデンスマンJP』の劇場版。視聴率あんまよくないみたいな記事出てたけど、おれ、第1回をリアルタイムで見てるから。全話しっかりチェックしたから。JPだけでなくKRやCHもやるって話も聞いてるから。....月9だし、視聴率が悪いって言っても数百万人は見ているの知ってるけど、そもそも劇場版になるほどの人気だったのは知ってるけど、少しは優越感に浸してくれ。

 

ドラマ版の『コンフィデンスマンJP』の素敵なところは、一話完結でサクッと見れてしまうところだ。ゲストの敵役を欺くためにあれやこれやと扮装し、最後の最後で逆転勝ち。展開がお約束されているからこそ、どの話から見ても楽しめる。予習しなくても面白いっていうのは基本的に大事なこと。一方、シリーズとして楽しむファンのためには、それぞれの編に関連性を持たせる仕掛けも持っている。この劇場版も、映画館で初めて本シリーズを観る人、ドラマから見ていた人も楽しめるような優しい仕上がりになっている。

 

…こんな優越感まるだし、いかにも分析しました、広告会社の研究員みたいな文章どうでもいいんだ。まさみ、まさみ、まさみなんだよーーーー!ドラマ版もそうだったけども、『ロマンス編』のまさみ長澤に私の視力は奪われっぱなしなんだよーーーー!長澤まさみ演じるダー子の七変化っぷり。細胞のひとつひとつまでも化けようとする女優魂はまさみ長澤とリンクする部分があるんだろうな。あんな大口あげてバカ笑いしているのに品があるってどういうことなんだよ。最高かよ。

 

ターゲットを騙すためにダー子は調査、脚本、演出、主演を全て自分で行う。コンゲームという見方だが、実態はダー子一座の劇中劇だ。大逆転劇と言いたくなるが、あくまでプラン通りなのだ。古沢良太の脳と長澤まさみの体が合体した、この天才作家兼俳優であるダー子の手のひらで我々は踊らされることしかできない。かなりでかい手のひらだ。釈迦並みだよ。釈迦澤まさみだよ。仏陀のような笑顔だよ。白目まで美しいのだよ。技術があれば木彫りの釈迦澤まさみを創り上げたいよ。

 

ダー子一座が香港を舞台にして繰り広げる劇の最後の伏線が回収されたときのカーテンコールに拍手を送りたい。月9から見ていたなんていうちっぽけな優越感を叩きのめしてくれ。わたしは釈迦澤まさみの手のひらの上を諸手を挙げて駆け回りたいんだ。

 

 

なんかいろいろ(アジア料理とかネタギリッシュとかラジオとか)

依然としてテレビ番組から観た影響が強い。少し前の相席食堂でかまいたちが「ルンダン」なるインドネシアの国民的な料理を紹介していたけども、近くにインドネシア料理店がなく、頼みのアジア系スーパー(一駅ぐらいの場所にある)に行ってみたら、ルンダンの素は発見したが、それは4人分のもので、一人暮らしの私には到底リスクのあるチャレンジだったため、諦めてしまった。未だルンダンの味を求めさまよう私。誰かルンダンが食べられる東京のお店を教えてください。もしくは、一緒にルンダンを作るオフに招待してください。ルンダンの材料は揃えますので。

 

未知なるルンダンに憧れながらも、一方で別のアジア料理への食欲が湧いていた。テラスハウスの新シーズンで、台湾帰りの俳優である翔平が手際よく作っていたルーローハンだ。(そして一緒に作っていたジーローハンなるものも気になってしょうがない)ルーローハン自体は、以前に台湾観光した際にめちゃくちゃ美味しくて、その感動がテラスハウスによって呼び起こされてしまった、というわけだ。

 

これは、嬉しいかな。カルディーにルーローハンの素があったので早速TRY。台湾で食べたルーローハンはそぼろ状だったので、僕の中のルーローハンといえば角煮ではなく、こちらのイメージだ。鍋で豚そぼろを炒めて、水とルーローハンのタレでじっくり煮詰めたらいい匂い。いざ、実食。だが、悲しいかな。どうしても台湾のときの感動を超えてこない。そりゃ現地のものと比べるなという話なんだけども、ハードルにぶつかりもしない。美味いルーローハンを食べるにはテラスハウスに入るしかないのか。翔平のルーローハンへの羨望が強くなる。

 

きっと、そう願ったのは私だけではなかったのだろう。テラスハウスのチャンネルにルーローハンとジーローハンの作り方教室がアップされていたのだ。

www.youtube.com

いや、買ってきた食材10人前て。4人多いじゃん。なんなら9人多いのよ。朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝ルーローハンまでは求めていないよ。ただただ煮込みを見せられただけだった。あれか、テラスハウス好き10人集めてルーローハン作るオフ会開けってのか。

 

この間の回では美味しそうにサムギョプサルを食べていたし、なんだよテラスハウス、飯テロ番組じゃねえか。家でみんなでご飯を食べるという行為を最後にしたのっていつだっけ。ルンダンとルーローハンを作るオフ会に参加するかなあ。

 

 

ゴッドタンのネタギリッシュナイトのチャンピオン大会を観に豊洲ピットへ。芸人のネタライブに行くことはあっても賞レースを生で観るという経験は初めてだった。令和初のタイトルが下ネタに特化しているというのも素晴らしい。大会の模様は地上波で放送されるとのことだが、ザ・ギースのネタの完成度がとてつもなかった。ザ・ギース史上最高傑作なのではないか。下ネタなんだけども品がある言葉遊びやインテリジェンスな発想に基づいたネタに、笑いを通り越して泣きそうになった。笑い泣きということでなくひとつの作品としての精密さに震えが止まらなかった。スタンディングオベーションしたくなるときってこんなにゾワゾワっと体から何かが溢れ出すんだね。

 

そんなザ・ギースの後に出てくるジョイマンも最高だった。いつも通りのラップネタに下ネタが光る。いい意味で期待を超えることも裏切ることもない至福の時間。ネタの順番で緊張と緩和を経験するとは、ネタ順って大事だよねえと、賞レース好き野郎が口癖のようにいう格言を思いだした。

 

 

テレビへの影響は強いと言ったけど、一方で、もしかしたら人生で今が一番ラジオを聞いているときなのかもしれない。大好きなchelmmicoがANN0を担当していた。それこそ、TSONEの「ベストバー」から聞いてきた生粋のフォロワーは、この檜舞台をただニヤニヤしながら聞いている90分間だった。ただのラジオ好きの真海子が、ニッポン放送のラジオブースという神殿で怯えている中でいつもどおりなレイチェル。

 

そんなchelmicoがSBSのチョコレートナナナナイトなる番組に出るものだから、radikoプレミアムにも入会した。(そしてラジオによる両耳の占拠時間が加速する。)chelmicoの2人を差し置いて、MCのチャンサカとやばたんが、公共の電波を通じてただいちゃいちゃするから、なんだかダークウェブのようなものを知ってしまった気分だ。

 

どちらかというとキャリアパーソン的なスタイルがトレンドだった女子アナ界において、あそこまで愛嬌が爆発しているアナウンサーがクリーンヒットしているのだろう。やばたんには時空の裂け目を通って20世紀のフジテレビに行ってきてほしいとも願う。いつのまにかチャンサカが放送前に更新してくれるやばたんの動画を楽しみにしてる私がいる。

 

先日の山ちゃんの結婚は衝撃的だったし、それこそ鼓膜がフル回転だった。不毛な議論にはじまり佐久間さん、岡村さん、オードリーに、、、ってまだまだ聞けてない。こう、様々な立場や目線からひとつのトピックを語ってもらうというのが本当に楽しい。そういえば、令和ラジオ史はじめての事件こと、金子メメントだって。これはマーベル的ユニヴァースというよりも、黒澤明の『羅生門』とか『バンテージ・ポイント』のような、主観が積み重なってひとつの世界が立ち上がるものに近い。とにもかくにもリスナーは最高だ。職業欄にリスナーって書きたい。

 

 

ゲームボーイって重かったね(『名探偵ピカチュウ』観たマン)

『名探偵ピカチュウ』を観た。


【公式】映画「名探偵ピカチュウ」予告①

  

赤のゲームボーイを買ってもらったのは1996年だった。ちょうどポケットモンスター赤・緑が販売されたタイミングだったと思う。ポケモンをおねだりした記憶はないのだが、今や市民権を得たコンテンツとは思えない独特のCMが木曜日の夕方にやっていたことはなんとなく覚えている。(そして簡単に記憶を共有できるYouTubeの素晴らしさ)


ポケットモンスター 初代CM

 

わざと家から出て、道路へと続く段差に腰掛けて、黙々と緑を遊んでいた少年は、社会的ブームとなったポケモンと一緒に育ち、やがて大人になった。今のキッズたちに「俺、GBからやってるから。コイルはでんきタイプ。かみつくはノーマルわざだから!ゲームボーイは凶器になるから!」と、どやっても、ぽかんとされていることは明らかだから、心のうちにとどめておこう。そんなポケモンネイティブの自負がある私でさえ、ポケモンがハリウッドで実写化するという世の中になることは想像できなかった。

 

舞台はポケモンと人間が共存する街、ライムシティ。主人公のティムは父親で探偵のハリーの訃報を聞き、父親のオフィスがあるライムシティへ向かう。父親の部屋の遺品整理をしている際に現れたのが、言葉を操る謎のピカチュウ。このピカチュウの言うことにゃ、ハリーはまだ生きているとのこと。ハリーの死の真相を確かめるため、ティムはピカチュウと謎の究明に迫るという話だ。

 

まず、ライムシティという街の描写に圧倒される。創り手側のポケモン愛が隅々まで伝わってくるリアリティを見せつけられただけで、この映画を観る価値は充分にある。電信柱のぶら下がるエイパムの群れ、ダイナーで店員をつとめるルンパッパ、ビルのセキュリティを行うゴルーグ、交通整理をするカイリキー(と、そばで寝てるカビゴン)。もしポケモンが街に溶け込むとしたら、ある意味家畜的な発想も含まれているかもしれないが、ポケモンの特徴と役割との違和感はほとんど感じなかった。そして、突然の竹内涼真にはビックリする。

 

ポケモンネイティブをさらにニヤッとさせるのは、マイクを持ったプリン、ゼニガメ消防団といったアニメ版を想起させる描写だ。ヒロイン役のルーシーのパートナーがコダックというのも、ハナダのジムリーダーが脳裏によぎる。そういう、細部までに宿ったリアリティがあるからこそ、しゃべるピカチュウの存在にすんなりと入ることができた。(しゃべるニャースに知らず知らずに鍛えられていた、というのはあるかもしれないが)作り上げた世界が壮大過ぎて、2時間で詰め込むのが惜しい。

 

ポケモンの世界観ということで、子供も楽しめるような、甘めなストーリーにはなっているが、ティムとピカチュウ、そしてルーシーとコダックが、ライムシティの闇に迫っていく展開はドキドキする。名探偵といいながらもどちらかというとアドベンチャー的要素が強くて、特に、研究所のシーンでは、あるとてつもない大仕掛けに思わずAmerica!!と叫びたくなってしまった。アメコミ的フレーバーとポケモンの相性の良さは新発見だった。