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シアーシャ大好きおじさん2019(『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』観たマン)

ふたりの女王 メアリーとエリザベス』を観た。

 


『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』予告編(90秒)

 

またもやシアーシャ・ローナンさんの主演作が公開されているので、もちろん観に行った。シアーシャの作品はなるべく見たいと思っているし、シアーシャのやりたいことはなるべくやらせてやりたいと思っている。結婚式の司会をやりたいというなら応援したい。

 

そのシアーシャの最新主演作はスコットランド女王のメアリーの波乱万丈の生涯を描いた『メアリーとエリザベス』だ。イングランド女王エリザベス1世マーゴット・ロビーが演じている。このふたりの女王の因縁が物語の中軸となる。時代は16世紀。この前観た『女王陛下のお気に入り』より昔のお話。こういう似た類の映画が近いタイミングで公開されるとなんだかウキウキする。世界史の教科書をランダムに開いているようだ。

 

イングランド側とスコットランド側の対比を色で表現しているのが印象的だ。イングランドは赤、そしてスコットランドは青で統一された世界観を見せている。そう、 シアーシャの青である。『レディ・バード』でも『追想』でも美しい青をまとったシアーシャの姿に魅了された。そして本作でも。シアーシャにとって青は一種のコーポレートカラーだ(?)

 

takano.hateblo.jp

 

女王陛下のお気に入り』でもそうだが、やはり権力の周りにいる人間の欲望は恐ろしい。王座の周りにいる人間たちの戦略、陰謀、裏切り。結婚も扇動もすべては政権のため。そんな混沌が日常的であるなかで、決して凛としたスタンスを貫くメアリーの姿に心を打たれる。孤独なメアリーの唯一の同じポジションにいたのがエリザベスというわけだ。文通や使いを出して交流する二人には、どこか不思議な絆が生まれる。

 

青色に描写されたスコットランド女王だが、ある1場面だけ赤いドレスで現れる。何かを残すように赤いドレスで佇むメアリーの立ち姿に息を呑む。真っ赤に染まるシアーシャも素敵である。

  

How to be in 懐(『女王陛下のお気に入り』観たマン)

女王陛下のお気に入り』を観た。


『女王陛下のお気に入り』日本版予告編

 

現代においてモテるための努力のうち最も簡単な方法、それは「異性の本音」という社外秘と言っても過言ではないテキストをなんと無料で掲載しているサイトを熟読することである。

 

私は女性心理が全くわからないわけで、電車移動の合間にそっとそういうサイトを閲覧しては「話は最後まで聞いてあげる」「目は2秒以上見つめながら話す」「弱音を吐いているときは心をひらいている。チャンス!」「連絡を急かさない」というものを興味深く読んでは、聖書のように心に刻んでいる。そして、実戦の機会が訪れてやってみるんだけども、結局は負け試合。私は2人分のお会計を支払い、おつりの小銭を甲子園の砂のように集めて帰るだけだ。

 

ああ、私も意中の人を狙って落とすような才を手に入れたい。欲を言うなら恋愛だけでなく、なんらかの権力を持った人物の懐にもぐりたい。そんなことをいとも容易く達成する女がいた。『女王陛下のお気に入り』に登場するアビゲイルだ。

  

この映画の舞台は、18世紀初めのイングランド王室。アン女王政権下で、フランスと戦争中。側近のサラが実質的なフィクサーとして君臨していたが、そんな最中、没落した貴族の娘のアビゲイルが現れ、王室の召使いとして働き始める。アビゲイルはある事件をきっかけにアン女王の"お気に入り"の階段を歩み始める。監督は『聖なる鹿殺し』のヨルゴス・ランティモス。気品がありながらも、魔物に見守られているような空気感に飲み込まれそうになる。

 

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とにかくアン女王とサラ、アビゲイルの女性たちによる三角関係がえげつない。歴年の女王とのリレーションシップはあるものの、その絆をいとも容易く塗り替えてくるアビゲイル。イラつくサラをあざ笑うかのように、アン女王と二人の濃厚な時間を過ごしてしまうアビゲイルサイコロジー。選手権者とチャレンジャー。これはアン女王の懐をかけたタイトルマッチなのだ。そのアビゲイルを演じるエマ・ストーンの小悪魔っぷりったらもう。こうやって権力の中枢に入るのか、はあ〜〜〜勉強になります。

 

と、サラとアビゲイルバチバチやっているのだけども、もう一方でアン女王の孤独も描かれている。パーソナリティーを愛されているのかオーソリティーに集っているのか、翻弄されるアン女王の叫びになんだか胸が苦しくなる。懐にお邪魔される側の気持ちもしっかり考えなければならない。その答えはスゴレンなんかに書いていなかったんだ。

 

 

平成と令和のあいだ

新しい元号が決まった。発表の時にレストランにいたのだけれど、みんながそれぞれスマホで会見を待っているのが面白くて、時代の境目にいるのだなという実感が湧いた。

 

元号が書かれた額縁が官房長官によって陽の目を浴びる。このスタイルも、小渕さんが「平成」を掲げたインパクトが強すぎるからだっただろう。メディアが発達し、記録技術も発達したのも一因である。この先も元号の発表はこの”小渕方式”が採用されるだろうし、万が一、官房長官が「それでは、電光掲示板にご注目ください!」なんて言ってほしくない。あの筆でバシッと書かれている感じで素敵なのだ。

 

新しい元号の発表後、今度はスマホがフリップにかわる。皆が令和で一言申し上げたいのだ。折しも4月1日。エイプリルフールに食傷気味の日本国民にとって、エネルギーは十分だ。さあ、国民的お題に対して、迫り来る未来に対して、笑いをとるのだ。

 

私も一言、令和でうまいこと言いたいんだけどそこは一億総笑点状態。思ったことがかぶるかぶる。「いとしのレイワ」とか「ほのぼのレイワ」とかとっくに先人がいるのだ。「ハレイワ島」もだめだったか。まだ誰も踏んでいない真っ白な雪を探すように、エゴサーチするけどみんなが通ったあとだった。まだ令和にもなってないのに。

 

そうだよ、まだ平成だ。昔のことはよく知らないが、すでに次が決まっている元号は初めてなんじゃないのか?こういう元号をクリスマス・イブ的な言葉で表現できないだろうか。令和イブだと、4月30日を指しそうだし、なんか違う。悩んだ末にたどり着いたのが「前任」である。要は引き継ぎである。これぐらい身近なことばでよくない?

 

「令和」という名前の人が、話題になっていた。たしかに、元号にも名前にも希望や期待をこめた漢字を用いるのだから、今回のようなビンゴが起きるのも不思議ではない。つまり、世界線が違っていたら、だれかの名前や、私の名前も元号になる可能性があったのか。そんなことを考えていたら、「充徳」と書かれた額縁を菅さんが掲げてたのかもなあ、と、ふと、チュートリアルの「月刊 福田」というコントを思い出した。歴史的な日に思ったことだから書き留めたくなった。