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五後のチェン(『金メダル男』観たマン)

『金メダル男』を観た。


予告 映画「金メダル男」 

 

僕らのチェン!ことウッチャンナンチャン内村光良監督の最新作。原作、脚本、監督、主演の4役をするというバイタリティのすごさ。主人公の秋田泉一は二人一役。ウッチャンともうひとりは、HeySayJUMPの知念君。秋田泉一の少年〜青年時代を演じる。このチェンとチネンが同じ人間を演じることの違和感の無さ!つまりチェネンなのである。

 

その秋田泉一という男の人生を、彼が生まれた、東京五輪東海道新幹線開通など現代日本の大きな変換点となった1964年からリニアな時間軸で辿っていく。

 

日本という国を比べるにあたり「戦後」という目印をよく用いるが、「金メダル男」は、1964年を目印にした「五後」映画と言っても良いのではないだろうか。泉一の成長に伴って、当時の流行したものが小気味よく交じるあたり芸が細かい。五後の50年間が2時間に一気に含まれているのだ。

 

小学生の時に「金メダル男」と呼ばれた男の不思議な50年史。その1番を取るという行為に執着するがあまり、秋田泉一は山あり谷ありの人生を歩むことになる。それにしても、小学生のときの1番のとりやすさとはなんだったのだろうか。私は、1番を取ったということで、オリンピックで1番を取った選手と同列だと思ってしまったことがある。全く違うのに数字で錯覚してしまった。自分が世界の頂上にいると感じていただけど、あんなに低い頂だったことは、今でもたまに思い出して恥ずかしくなる。

 

思春期の挫折にぶつかる苦悩を描く知念くんの顔芸もさることながら、ある“表現”のシーンはひとつのクライマックスで思わず見とれてしまう。これがジャニーズの底力。まわれまわれよ知念くん。

 

常に苦境に立たされる秋田泉一だが、1番を取るための努力や人生経験、出会いが縁を生み、 ひとつひとつの小さな奇跡に救われていく。ニクいのが、壮年になった主人公が1位を取るために出場する大会の中に社交ダンスに挑戦しているということである。

 

ウッチャン+社交ダンスといえば我々世代はピンとつながるものがある。芸能人社交ダンス部だ。ブラボー内村にアミーゴウド、そしてビビアンは今、台湾で何をしているのだろうか。そういえば、この映画には、水泳の場面も出てくる。ドーバー海峡横断部だ。他にも、主人公とウッチャンが重なるような場面が何度も出てくる。この「金メダル男」は内村光良というひとりの人間の追体験を味わえるのだ。

 

適老期

わたしは、実年齢に比べて比較的、若く見られる(と思っている)。例えば、ワイシャツを来ていたときに、学割制度があるお店に行ったとき、店員から「学生証はお持ちですか?」と聞かれたことがあるぐらいだ。そのときの私は、質問に虚をつかれて「いえ、持っていないです」と最大限の低音ボイスで返答した。この対応も実年齢に比べて若い(というより幼い)。

 

しかし、人間として生きている以上、時間の流れにまともに乗っている以上、この若さもだんだん薄れてくる。恐ろしいのが、老いのスピードが人それぞれであるということだ。もちろん仕事や家庭の環境などの原因はあるのだろうが、それでも同い年でそんなに違いが生まれるのかと、なんだか切ない気分になる。

 

その個人差が原因で悩みが生まれてしまった。適切な老け方がわからないのだ。今までは若さを維持してやるという、美魔女的な考え一本槍だったのだが、若いままでいることがいいことなのかと疑うようになってしまった。奇跡の50歳などと呼ばれることに夢を見なくなった。そもそも毎日生きているだけで幸せじゃん。

 

きっと怖いのは、突然、一気に老けることだ。若さをキープしているかと思いきや、ガタンと踏み外して一気に年相応(もしくは勢いがついてそれ以上)。周りの人達も突然の変貌ぶりに戸惑いを隠せないだろう。あの人はどうしちゃったのか、「魔法が解けちゃったんだじゃないの?」「いやいや、悪い薬よ」なんて噂話が耳に入ってしまってますます老け込んでしまう。他人の評価に敏感なわたしにとっては大ダメージである。必死にカツラとかシミ隠しとかしてしまえば、ますます噂が立ってしまう。地獄の更年期を迎えてしまう。ああ、海外の川のようにゆるやかに老けたい。

 

飛行機の亡霊と戦う(『ハドソン川の奇跡』観たマン)

ハドソン川の奇跡』を観た。

 


C・イーストウッド監督×トム・ハンクス主演『ハドソン川の奇跡』予告編

  

クリント・イーストウッド師匠の最新作。クリント・イーストウッドの最新作を公開と同時に見に行ける時代を生きていることが幸せだということは忘れてはいけない。2009年に実際にあったハドソン川への飛行機着水事故(そんなニュースもあったね)を題材に、そのパイロット、サレンバーガーをトム・ハンクスが演じる。記憶の片隅にあった事件をイーストウッド師匠が重厚な人間ドラマに仕上げている。

 

前作の『アメリカン・スナイパー』と同じく、実在した人物を主人公にした本作だが、もうひとつ『アメリカの親父の背中』や『アメリカの英雄』というキーワードで共通する部分があると思う。

 

takano.hateblo.jp

 

果たして、着水の判断は正しかったのだろうか。公聴会の結果によっては家族を路頭に迷わせてしまうかもしれない。一方、メディアは大々的に、もはや誇張に思えるほど、機長を英雄視する。(全くの一般人の反応がどこか、サレンバーガーにとっては希望なのだけども)突然、脆い世界の主人公になってしまったサレンバーガーの苦悩が、迷える背中が、繊細に描かれている。

 

「アメリカ」「飛行機」「事故」というキーワードだけで、21世紀を生きている僕たちは、そして、この映画を見た人たちは否応なしにあの出来事を思い出してしまう。この時代だ。いつ、どこで、死んでしまうかわからない。しかし、結果から言えば全員生還したこの事実に、僕たちは希望を見出す。飛行機の亡霊と一生戦うであろう僕たち(と言っていいかわからない。きっとこれはアメリカ人のための映画だから)にとって、この映画はなにか不思議な団結力を生み出す作品なのだ。