砂ビルジャックレコード

カルチャーの住民になりたい

なんかいろいろ(梨泰院クラスとか99ANNとか)

5月の中盤だというのに、もう夏日が何度かあるのにクラクラする。何度も四季を経験しているのに春から夏へシームレスに移行した年は無いと思う。その間に1日だけ、年イチで最っ高にお散歩したくなるちょうどいい晴天の日があるくらいだ。もっと、徐々にでいいので、なんとか頼んますわ地球さん。

 

引き続き引きこもり生活で悲喜交交しているわけで、料理も以前よりする回数が増えた。もともとカレーをスパイスから作るタイプだったんだけど、今回は新品目にチャレンジ。チキンとほうれん草のカレーを「有吉ぃぃeeeee!」のYouTubeチャンネルに載っていたレシピをもとに作った。

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ゲームにカレーにプロレスに、この番組は自分の好きなものしか取り上げてくれないから必見している。カレーは無事に成功。ほうれん草はもっと細かく刻めばよかったけど、しっかり煮込んだ鶏もも肉が見事な果実に変身を遂げていました。ちょっとシャバいチキンカレーを作り上げるスキルを身につけたので、人としてのランクも上がった気がする。

 

インドに続いては韓国の話題。「梨泰院クラス」を一気見した結果、「梨泰院クラス見た?見て!」という口癖のおじさんになりました。全話でおよそ18時間あるけども、飽きずにどんどん惹きつけられる展開の妙。サクセスストーリーも恋愛もグルメもサスペンスも池井戸潤もあるのに、それをすべて包んでしまう。サンチュみたいに(言いたいだけ)。作中の食事シーンで何度も登場するから、チャミスルを買ってしまった。もちろん、1話でパク部長が教えてくれる注ぎ方、飲み方で飲んだ。もっと寒い時に飲みたいお酒だなあと、韓国の緯度を思う。あっちのドラマは感情表現としての雪をカジュアルに使ってたな。今は、一人でも「梨泰院クラス」を観た人を増やして、来たるべき時に、韓国料理屋さんで豆腐チゲと豚のコチュジャン炒めで宴を開くのが夢であります。

 

岡村さんの例の騒動があってから、木曜深夜はリアルタイムで聞いていたけど(それがなかったらリアルタイムじゃなかった、、、と思うと合わす顔がないけど)、「ナインティナインのオールナイトニッポン」の復活という超展開に立ち会えたのは本当に嬉しかった。やっぱり矢部っちの相槌が心地良い。当時のフィラーも流れてきて、ウルッと来てしまった。ネタメール解禁、セルゲイ・ブブカと点取り占いの終了という大英断は、新たなナイナイANNを作ってやろうという、ラジオ屋としての決意を感じた。来週は、矢部浩之の「A・RA・SHI」が聞けますように。

 

 

間もなく間をうめてくれ

いやはやオンラインで顔を出してコミュニケーションを取るのは難しい。こういう生活になる前からビデオ通話というものがあったのに、全く利用していなかった自分のことが少し嫌になる。ワイプ的リアクションもそうだけど、気になるのが会話のラグである。誰かの発言に呼応しようとすると、他の誰かとタイミングがリアルなときよりも被ってしまう。それを学んで、誰も出なければ答えようと出を伺うのだけど、今度は妙な沈黙が流れてしまう。間を測る感覚が異様に難しい。これは知らず知らずのうちに身についていたコミュニケーション術なのかもしれない。

 

南海キャンディーズがインスタライブを使って漫才を披露している。新時代の実験だ。これは過去を生きた者の小言かもしれないけど、リアルな間を使ってスパンとツッコむテンポでは無いからどうしてもグルーヴが生まれにくい。このままの生活が続くようであれば、M-1グランプリもどうなってしまうのか非常に心配だ。(もし、実現させるとしても、たとえばガラス越しを隔てて漫才をやるとか、取調室みたいな雰囲気になるのだろうか)

 

通信時のラグがあるだけで、こんなにも変わってくるから漫才というのは繊細なものである。5Gが主流の生活になれば、こういうラグもなくなってきて、サンパチマイクを隔てなくてもかっこいい漫才ができるのだろうか。と、同時に4Gでもラグを全く受けなさそうなスリムクラブの漫才が非常に恋しくなった。

 

 

なんかいろいろ(ステイホーム中のくらしとか)

この自粛機関の中で音楽ライブやネタライブの開催ができなくなった。アーティストたちはオンライン上でフェスをすることを考え、このGWでいくつもの企画がたちあがっている。僕らは家にいながらフェスを、基本的には無料で、しかも複数の、しかも入退場自由で楽しめるという状況になっている。こうなってしまうと、欲の収集がつかない。なるべく自分にとって最適解のタイムテーブルを作り上げることに躍起になる。そんなこんなで一日が終わる。帰りの電車で火照った体と神経をクールダウンする時間もないから余計寂しくなりそうだ。

 

恐ろしいのは、我々は以前の生活以上にコンテンツに対して、ずっと受動的になってしまうということだ。この間に、こつこつと作品を作り上げているアーティストたちの逆襲を楽しみにしているとともに、アウトプットを怠惰している自分に気づいた。そうよブログを書かねば。

 

仕事でももっぱらZoomを使ってオンライン会議をするようになった。みんな各々の画面を向いているようなので、試しにある人へ視線(というよりガン)を飛ばしてみる。やっぱり気づかれない。小さな優越感。どうしても気になるのは右上に小さく映っている自分だ。ずっと頬杖をついたり、首をかしげたり、そんな要素は無いのにぶりっ子的仕草をしていることに気づく。対面の会議でもこんなことしてたのかと恥ずかしくなる。

 

右上の自分を気にしだしてから、姿勢が良くなった気がする。この感覚、なんか他人で見たことあるなあと思ったら、情報番組のワイプだった。気を抜いた時にワイプに映る芸能人の、その場しのぎで口パクでする「美味しそう〜」にそっくりだ。オンライン会議が日常となれば、日本国民全員がワイプ芸を学ぶ時代に突入するのかもしれない。いつもより大きな頷きや、リアクション。先輩の画面に突然現れる子どもたちのやんちゃな動きに口パクで「かわいい〜♪」とF2層の好感度を狙った顔芸。こういう画面映りでのコミュニケーション術とか、結構需要ありそうな気がするんだけどな。講師やってくんねえかなあ、こじるり。

 

映画も映画館で見れなくなってしまった。私は劇場公開された映画をブログにしたためているのだが、それもできない。いくつか書きかけのものがあるけど、それを9月2週目に出す夏休みの宿題のように提出していきたいと思う。あとは、Netflixの新しい作品とかね、そういうところから更新していきたい。2月のアカデミー賞とかどうなるのだろうか。

 

新作をやっていないから過去の作品を見る機会が増えて、この前はタイカ・ワイティティの『シェアハウス・ウィズ・ヴァンパイア』を観た。モキュメンタリータッチで、ヴァンパイアやその他のモンスターたちが人間界で生きているかを「ヴァンパイアあるある」を用いながら描いた作品だ。

 

こういう"コロナ前"の作品を見てしまうと、現状のことを考えてしまうようになってしまった。この外出できない、密着できないという世界の中で大打撃を受けている種族のうちのひとつがヴァンパイアだ。血を吸えないというのは致命的だ。獲物を捕まえられないから、ずっと棺の中で眠っているのだろうか。ステイ・コフィン状態か。

 

それともオンラインの力を使ってしぶとく、獲物を見つけては、館におびき寄せているのだろうか。例えば、マッチングアプリとかで。食い物(吸い物?)に困っている今のドラキュラならやりかねない。きっと顔の下半分を覆った写真(グラスでお酒を飲んでいるフリしたり、口を手で抑えて笑っているフリしたり)をアイコンにしているやつがいたら、おそらくそいつはドラキュラだ。言葉巧みに誘惑してくるから気をつけろ。