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ゲームボーイって重かったね(『名探偵ピカチュウ』観たマン)

『名探偵ピカチュウ』を観た。


【公式】映画「名探偵ピカチュウ」予告①

  

赤のゲームボーイを買ってもらったのは1996年だった。ちょうどポケットモンスター赤・緑が販売されたタイミングだったと思う。ポケモンをおねだりした記憶はないのだが、今や市民権を得たコンテンツとは思えない独特のCMが木曜日の夕方にやっていたことはなんとなく覚えている。(そして簡単に記憶を共有できるYouTubeの素晴らしさ)


ポケットモンスター 初代CM

 

わざと家から出て、道路へと続く段差に腰掛けて、黙々と緑を遊んでいた少年は、社会的ブームとなったポケモンと一緒に育ち、やがて大人になった。今のキッズたちに「俺、GBからやってるから。コイルはでんきタイプ。かみつくはノーマルわざだから!ゲームボーイは凶器になるから!」と、どやっても、ぽかんとされていることは明らかだから、心のうちにとどめておこう。そんなポケモンネイティブの自負がある私でさえ、ポケモンがハリウッドで実写化するという世の中になることは想像できなかった。

 

舞台はポケモンと人間が共存する街、ライムシティ。主人公のティムは父親で探偵のハリーの訃報を聞き、父親のオフィスがあるライムシティへ向かう。父親の部屋の遺品整理をしている際に現れたのが、言葉を操る謎のピカチュウ。このピカチュウの言うことにゃ、ハリーはまだ生きているとのこと。ハリーの死の真相を確かめるため、ティムはピカチュウと謎の究明に迫るという話だ。

 

まず、ライムシティという街の描写に圧倒される。創り手側のポケモン愛が隅々まで伝わってくるリアリティを見せつけられただけで、この映画を観る価値は充分にある。電信柱のぶら下がるエイパムの群れ、ダイナーで店員をつとめるルンパッパ、ビルのセキュリティを行うゴルーグ、交通整理をするカイリキー(と、そばで寝てるカビゴン)。もしポケモンが街に溶け込むとしたら、ある意味家畜的な発想も含まれているかもしれないが、ポケモンの特徴と役割との違和感はほとんど感じなかった。そして、突然の竹内涼真にはビックリする。

 

ポケモンネイティブをさらにニヤッとさせるのは、マイクを持ったプリン、ゼニガメ消防団といったアニメ版を想起させる描写だ。ヒロイン役のルーシーのパートナーがコダックというのも、ハナダのジムリーダーが脳裏によぎる。そういう、細部までに宿ったリアリティがあるからこそ、しゃべるピカチュウの存在にすんなりと入ることができた。(しゃべるニャースに知らず知らずに鍛えられていた、というのはあるかもしれないが)作り上げた世界が壮大過ぎて、2時間で詰め込むのが惜しい。

 

ポケモンの世界観ということで、子供も楽しめるような、甘めなストーリーにはなっているが、ティムとピカチュウ、そしてルーシーとコダックが、ライムシティの闇に迫っていく展開はドキドキする。名探偵といいながらもどちらかというとアドベンチャー的要素が強くて、特に、研究所のシーンでは、あるとてつもない大仕掛けに思わずAmerica!!と叫びたくなってしまった。アメコミ的フレーバーとポケモンの相性の良さは新発見だった。