砂ビルジャックレコード

カルチャーの住民になりたい

欲望を満たすシーン(『ケイト・プレイズ・クリスティーン』観たマン)

『ケイト・プレイズ・クリスティーン』を観た。

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食べ物と同じように、映画も「1週間限定上映」「レイトショー限定」というプレミア感のある言葉がついてしまうと、観なければ損!という気持ちが余計湧いてしまう。

 

この『ケイト・プレイズ・クリスティーン』もユーロライブでたった1日限定公開というレアな作品である。ある意味、時間的に許された者しか観ることの出来ないこの作品をどうしても観たかった。というのは、あらすじだけで、もう衝撃的だったのだ。事の顛末を求めに、すぐにチケットを抑えた。

 

舞台はフロリダ。1970年代のあるケーブルテレビ局のニュース番組の生放送中に、出演中の女性キャスター・クリスティーンが、自らの頭部を拳銃で撃って自殺した事件が発生。(しかも実話。。。!)この実話を映画として再現するために、クリスティーンを演じる女優・ケイトは、クリスティーンの周辺を取材しながら、事件の背景や、彼女の抱えていた苦悩を知ることになる。つまり、題の通り『Kate plays Christine』(ケイトはクリスティーンを演じる)というわけだ。

 

まず、このようなショッキングな事実が存在していたことが悍ましい。一般的にインターネットなんてものはないし、記録に残すのが今よりも難しかった時代である。劇中では、この“事件の瞬間”のVTRを探すというのがひとつのフックになっている。ある種、都市伝説を検証しているような展開。そのVTRを求め各所を廻る真面目なケイト。ケイトは本当に真摯なやつ。

 

ちなみに、YouTubeで「Christine」と入力すると、サジェストで、この事件に関する項目が出てくるのがなんだか恐ろしい。(と、同時に、興味本位で検索した自分自身も、その恐ろしさの中に入ってしまった。罪悪感でいっぱいだ。)

 

当時の新聞記事や、 同僚たちの証言から、徐々に立体的になるクリスティーンという女性のパーソナリティ。クリスティーンが抱えていた心の闇。また、男性社会の中で女性が活躍することの難しさ。手軽に銃が購入できるアメリカの背景など、社会的な切り口が多くあるのも見逃せない。

 

真面目なケイトは、外見もクリスティーンに近づけて、撮影に臨むのだが、自分の理想の演技ができず苦悩する。その葛藤や苦悩がいつしか、クリスティーンの苦悩にリンクし出すのだ。

 

しかし、苦悩を語るインタビューなどがある本作品のような、ドキュメンタリー的な側面を入れている映画というのは上級者向けなのではないかと思う。この映画は「Kate plays Christine」でありながら「Kate plays "Kate plays Christine"」であることを忘れてはいけない。META!

 

ラストシーン(ということは・・・である)を迎えて、私の心臓はバクバクの手汗ダラダラであった。そして、、、

 

私の頭の中では、作中でニュースキャスターが何度も読む「これからお見せするのは、最新の臓器と流血の映像です。」という原稿が未だに離れない。

 

くりかえしのTANKA(短歌の目第15回)

短歌の目、本年も参加させていただきます。どうぞよろしくお願いします!

 

tankanome.hateblo.jp

 

今回のお題で脳みそこねこねして作っていたら、同じ言葉を幾度か繰り返すものが多くなったので「くりかえしのTANKA」というタイトルをつけました。

 

 

1. 編
各駅で掌編小説読み終えた私は私の町まで微睡む
 
 
 
2. かがみ(鏡)
鏡台に見られていますよあなたってお出かけの服着たり脱いだり
 
 
 
3. もち
もちもちのもちはもちだしもちもちではないもちはもちろんおかきかな
 
 
 
4. 立
(発条仕掛けみたいに)起立、(深く)礼、(疲れたボクサーのように)着席
 
 
 
5. 草
テクノロジー生み出す人よそういえば草なぎ剛のなぎはどうした
 
 
 
テーマ:「初」
初雪を部屋で迎えるあの人のために今だけじんじんと降れ
 
 
 
ありがとうございました!本年も詠む詠む。
 
 

究極の横顔映画(『ネオン・デーモン』観たマン)

『ネオン・デーモン』を観た。

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高校の化学の授業を受けていたときだったと思う。周期表の不思議な配置の理由を学んだときに、心が満たされた記憶がある。「希ガス」というやつらの存在である。専門用語なんてとっくに忘れていて、説明が正しいかどうか不安だが、原子は、原子核の周りに電子が層のように付いている、それぞれの層には席が決まっていて、席に余りの無い原子を「希ガス」と呼ぶ(と解釈している)。

 

水素や酸素などの原子には、席に余りがあって、その余りを満たすために合体する。それが水となる。「水素は手が1本、酸素は手が2本」と表現する先生の説明はとてもわかりやすかった。一方で、誰とも手をつながずに、周期表の右端でポツンと佇む「希ガス」の孤高の存在感が輝いていた。ヘリウムやネオンなどの原子を実際見たことが無いが、きっと美しく電子が回っているんだろうという想像をしながら授業を受けていたのだ。

 

そういう感覚でいる私にとって、この『ネオン・デーモン』という映画に『ネオン・デーモン』というタイトルを付けたのには本当に感動した。まさしく“完璧な美貌を持った悪魔”がその美で暴れだす、覚醒するという展開に、慄きながらも見入ってしまった。不穏なEDMやスローモーションの映像美といった効果もずるい。美しさの底なし沼へずるずると引き込まれていく。

 

主人公はジェシーというモデルの卵。このジェシーのサクセスストーリーなのだが、モデルとしてステップアップしていき、徐々に自信をつけて、やふぁて悪魔のようなきらめき出すジェシーが本当に恐ろしい。特にファッションショーのシーンなんか、絶対に見てはいけない花を覗くような不思議な背徳感があるのだ。

 

注目したいのは、主人公・ジェシーを演じるエル・ファニングの、これでもか!と見せつけてくる美しい横顔。もう確信犯的に横顔のカットが多いのでそこは1秒たりとも逃さずに見ていただきたい。子供のようでもあり、大人の一面も出すエル・ファニングの横顔に見とれることができる幸せ。息を飲む幸せ。究極の横顔映画の誕生である。エルちゃん恐ろしい子

 

しかし、美人薄命とは、よく出来た言葉である。人をとても簡単に狂わせてしまう美という概念。「美しくなりたい」という考えは、私たちにかけられた呪いのようだ。その究極の美を持つジェシーをとりまく環境の醜さ、執念が、この物語を思いもよらぬ方向へ導く。想像以上の展開で、観終わった後に体力が回復するのに時間がかかった。想像以上にハイカロリーな映画である。