砂ビルジャックレコード

カルチャーの住民になりたい

RECYCLE or DIE

外に出ていると、突然視界に入った何気ない光景に衝撃を受けることがある。

 

 

動揺を隠し切れないまま、そっとこの3つの単語で検索をかけてみたら、Amazonで売っていてさらなるショック。しかもフライングタイガーかい。

 

 

おわかりいただけるだろうか。このトートバッグにおけるDIEの占める割合。おそらくこの文字のバランスも、わなわな震えてしまう要因だろう。このトートバッグに使い捨てカイロとか入れた日には、ただのDIEだけでは済まされないのだろう。もう残酷なやつ。中世ヨーロッパ的な処刑方法でDIEされてしまうのだ。

 

しかしながら、別の観点も思いついた。果たしてこれは我々、人間へのアラートなのだろうか。実はこの「RECYCLE or DIE」は全世界にあるペットボトルへのメッセージではないのだろうか。goo辞書によれば「recycle」は「再生利用される」という自動詞の意味があるので、この解釈は間違いではないはずだ。「再生か死か」ペットボトル目線の言葉だが、エコを超越した重いメッセージを感じる。

 

これを角度を変えてみてみよう。仏教などの考えでは、死ねばまた生まれ変わり、それを繰り返す「輪廻転生」的な死生観を持っている。「RECYCLE or DIE」にあてはめれば、再生しなければ死んでしまうということだ。しかし、死ねば生まれ変われる。で、あれば最初から「再生」を選べばいいのに。。。では、なぜペットボトルには「再生」と「死」の2択が与えられるのだろうか。うーん、頭がクラクラする。自分で勝手に穴を掘っていて出られなくなっている。

 

一体、「RECYCLE or DIE」は人間どもに、ペットボトルどもに何を問いかけたかったのか、そして、あのトートバッグの中に入る運命となったペットボトルは「再生」と「死」のどちらを選ぶのか。すべては、あのなよなよしてた男子高校生の手のひらの上に転がされ、いや、なで肩のもとに吊り下げられているのだ。侮れないなDK。