砂ビルジャックレコード

カルチャーの住民になりたい

CD買う男もといタワレコ通う男

最近の私は、CDをなんだかんだコツコツ買っている気がする。タワレコに行ってはお目当てのCDを買い、店に無ければタワレコのHPを開いてお目当てのCDをポチる。そんな繰り返しを続けている。データよりも円盤を買ってしまうアナログ人間であることは自負しております。握手券なんか入っていないので、多少控除をしてほしい願いはあるけども。

 

発売を待ちわびていたのはT2 Trainspottingのサントラ。高校生の時に観て以来“トレインスポッティング中毒”になっている私だが、今年続編が公開されるとあって禁断症状が悪化してきている。その兆候のひとつとして、サントラを買ってしまった。オフコース、輸入盤だ。

https://www.instagram.com/p/BQiMwqAgixO/

4月の公開まで我慢できなくてsoundtrack買ってもうた。早く観てええええ #t2 #trainspotting #dannyboyle #IggyPop #Underworld #movie

 

世界一追いかけっこしたくなるロックンロールことLust For LifeのThe Prodigy Remixからはじまって、UnderworldのSlow Slippyで締める抜群のラインナップ!まだ日本では未公開ではありますが、勝手に観た気になっています。っていうか勝手に映像が出てくるのです。頭を空っぽにして聞くと本当に“アレ”をしているかのような気分に陥ります。(アレ吸ったことも打ったこともないんですけど)このサントラは間違いなく麻薬。今は、長い時間がとれたら繰り返し聞いて、脳に覚えさせている。これがダニー・ボイル師匠の映像と、どうリンクするかが楽しみなのであります。

 

女性シンガー界隈では、元Especiaの脇田もなりさんの新譜をBuy。


脇田もなり Boy Friend

レトロなシンセポップなのに、このクセになる感じはなんだろう。胸は高鳴り、ただただ口ずさむ。地元の定食屋の有線で流れてたら最高。MVも脇田もなりさんの笑顔をひたすら堪能できるので、私もニヤニヤしてしまう。フライパンにそんな野菜入れる!?少しでもいいから切ろう?という瞬間が至高。そして、キャップが似合う女性って素敵かよ。

 

リリカルネッサンスのTHE CUTもいったりました。


リリカルネッサンス「The Cut」(MV)

 

Base Ball BearRHYMESTERのが、がっぷり四つで漢と漢を濃厚に詰め込んでている原曲に比べると明らかに弱さがあるが、ハーモニーを重視するなど、原曲の持っていない部分で戦うという明確なスタンスが見れる。(MVは、原曲、カバーともに最高!)

 

リリスクちゃんでいえば、私の大好きな大部さんがもうすぐいなくなってしまうのが本当に哀しい。Twitterエゴサーチしてくれる大部さんをあえて避けるように、ブログで愛を叫ぶのが私のポリシー。

 

そしてそして、まさかの小沢健二さんの新譜である。小沢健二に影響された世代の音楽を聞く世代なのに、グランドファザーが新作を出すというんだから、それはもう辿らずにはいられない。CityBoyの音楽の教科書なのでマストバイ。

https://www.instagram.com/p/BQxs1prDO_g/

私はCity Boyだから小沢健二聞きます#流動体について #小沢健二 #魔法的

 

“孫世代”を自負してるので、オザケンに関する語彙や文脈を持っていないので、今は色々な方のブログを読んでは、もぐもぐと知識や見方を溜め込んでおります。去年行った、魔法的で演奏された他の新曲の音源かもニヒニヒしながら待っているのです。(シナモン(都市と家庭)が個人的に好き。)Mステもみるよ!!

takano.hateblo.jp

 

 

テラスの男女は大体ヤバい(『At the terrace テラスにて』観たマン)

『At the terrace テラスにて』を観た。


映画『At the terrace テラスにて』予告編

 

岸田國士戯曲賞を受賞した『トロワグロ』 という舞台を映画化した作品。舞台が原作という映画は数多あるが、特筆すべきなのは、映画版と舞台版の出演陣がまるっきり変わらないということである。(鑑賞後に舞台挨拶があって、山内ケンジ監督が本作品を当て書きしたということも言っていた。)映画と舞台をいいとこ取りしたに作品となっているのだ。

 

見た後に気づいたのだが、そういえば私は山内ケンジ監督作品を観ていた。『友だちのパパが好き』、この作品も怪作だったなあ。

takano.hateblo.jp

 

専務が開催したホームパーティーを舞台とした、“密室劇”。7人がテラスで会話するだけ(テイラーは流れないし、副音声で山ちゃんが罵詈雑言を散らかさないけど)なのだけど、確実に打ちのめされました。会話のズレが解釈のズレを生み、関係のズレを生む。ただ、ズレることで奇跡的に、それがハマる瞬間ができたり。。。と、シームレスな状況の変化に一言一句聞き逃せなくなる。

 

テラスという場面設定がやっぱりニクいよね。パーティーという建前の見本市に対し、その会場の外側部分で、明らかになる参加者たちの本音。その見てはいけない部分を見てしまっている背徳感も効果としてあるのだと思う。7人の関係性も非常に緻密だ。主催者家族、遅れてきた参加者、同じ苗字の人、、、各人の個別の関係性によって地獄のような(第三者としては最高なんだけどね)時間が繰り広げられる。帰り道に、この映画を頭の中で反芻してみたけれど、よく考えてみれば、登場人物が穏やかにヤバかったなあ。メンタルもフィジカルも。

 

別の映画を持ち出すのは野暮かもしれないけど、『キサラギ』がお好きな方は、この映画に絶対ハマるはずかと。関係ないけど、一度でいいからみんなでキサラギのエンドロールの振りコピやりたいよね。もちろん喪服で。

 

 

ドラン大好きおじさん(『たかが世界の終わり』観たマン)

『たかが世界の終わり』を観た。

www.youtube.com

 

私の最近好きな監督、グザヴィエ・ドラン師匠の最新作の公開日がとうとうやってきたのです。この日のために仕上げ(初回上映をいい席で予約)てきました。少しの眠気を残しながらも、テンションは上々。

 

https://www.instagram.com/p/BQWksVWA9ll/

ドラン、おれだー! #movie #itsonlytheendoftheworld #xavierdolan #たかが世界の終わり

 

劇作家のルイは、家族に“あること”を告げるために、12年ぶりに帰郷する。そのルイを出迎える家族(母親、兄、兄の妻、妹)との、ある1日を切り取った物語。見ているこちらも息苦しくなるほどの濃厚な密室劇。

 

じっくり物語がすすむので、その世界に入り込むのは難しく感じたが、振り返ってみればわかりやすい物語構成であった。冒頭にルイが帰郷し、家族と再開するパートでは、登場人物とルイとの関係性をきっちり紹介。そのあとルイと各キャラクターとの1対1の会話で、そのキャラクターの想いが明らかになり、物語が加速していく。

 

母親のマルティーヌは、ルイが帰ってくるにあたって食事でもてなすのだが、これが物語の大きな流れを作る効果を担っている。オードブル、メイン、デザートと“三幕構成”で、調理中に物語がじわじわ動き出し、(お母様がたっぷりと時間を費やして料理をなさる)家族全員が揃うと、その物語がひとつクライマックスを迎える。その仕組みが実に緻密なのだ。恐るべしドラン師匠。

 

不思議なのが、主人公であるルイが“徹底的に受け身なコミュニケーション”をとっていることである。ある決意を持って帰ってきた主人公なのに。ルイの周りにいる人々が、ルイをきっかけに騒ぎ出す物語なのである。そう考えると、あくまでもルイは、この物語における触媒にすぎないのかもしれない。

 

ただ、一方であまりに受動者なために、この空間におけるもうひとつの受動者=観客とリンクするはたらきがあるのではないだろうか。なんだか私は、決してルイに感情移入しきってはないけども、想いや考えを不器用に伝えてくるルイの家族に、心がズドンときてしまう。特に1対1の会話パートで胸が詰まってしまう。『たかが世界の終わり』の世界にどっぷり浸かりながら、ふと、自分の家族と、ルイの家族をうっすら重ねてしまっている私がいることに気づく。ルイのような状況で、我々は家族に何を求めるのだろうか。

 

そして(ドラン映画では当たり前ではあるが)劇中でかかる音楽が今回もかっこよくてかっこよくて!日本でも流行ったO-Zoneの「恋のマイアヒ」など耳馴染みのある音楽も流れるし、重苦しい密室劇で清涼剤のような役割も果たしている。毎度のことながら、音楽と映像(相変わらずの色彩に惚れ惚れするが、特に青色の美しさ!)のマリアージュに酔いしれる。はやくサントラを買いに行かなければならない。

 

ドラン大好きおじさんとしては、兄のアントワーヌと、『トム・アット・ザ・ファーム』のフランシスとの共通項とかを考察したら楽しいんだろうなあなんてニヤニヤしながら、このブログを締めくくりたいと思います。

 

 

 

あ、あとこれだけ言わせてください。レア・セドゥみたいな妹がいてほしい。