砂ビルジャックレコード

カルチャーの住民になりたい

ググられたい

いや、そのタイトルにしている願望というのは、検索結果の果てとして、このサイトにたどり着いて欲しいという気持ちなのである。どんな言葉でもいいので、見てほしいのだ。

 

やはり、誘導するためには検索しがちな言葉を罠として仕掛けておくべきなのだろうか。「とは」「おすすめ」「攻略」「評判」などを適度に散りばめておけば見知らぬ人はやってくるのだろうか。「おすすめ攻略法の評判とは!?」とかここで打っときます。誰か来てね。

 

そういえば「ググる」という動詞は市民権を得ているし、なんなら英語でも"google"が動詞として活用されている。google-googled-googledの規則動詞変化なので覚えやすいね。

 

と、動詞があると思わず現在進行形にしてしまいたくなる癖が出てきてしまう。be googlingである。「検索中である」という意か。モデムの頃の俺達であれば、googling timeは多少あったのだが、今はあっという間だ。申し訳程度に検索結果に記載されている(0.33秒)などがあなたのgoogling time。わずかなのがなんだか寂しい。

 

Weblio辞書で"google"の例文を検索したら、自分の名前を検索する(つまり、エゴサーチ)ことを"google oneself"と言うらしい。かっこいい。こういうスラッと再帰代名詞を使えるような英語使用者になりたいものだ。"google myself"してもヒット数なんて無いけど。

 

話は「ググる」に戻るが、「ググる」と日本語の動詞になったからにはどうしても生まれてしまう変化がある。敬語である。日本人なら容易に尊敬語、謙譲語、丁寧語にしてしまう。「ググります」と丁寧語は、なんだか使いそう(過去にどこかで口に出しているかもしれない)な感じだが、問題は残りの2つだ。

 

「おググりになられる」

「ググらせていただく」

 

もう未知の世界だ。「おググりになられる」の言いにくさよ。早口言葉ができそうだ。

 

おググりになられる小栗旬

おググりになられる小栗旬

おググりになられる小栗旬

 

3回言えた人はググっていいです。

 

関西的な敬語になると「ググりはる」になるのかな。「先輩、すぐググりはりますやんか!」ってひな壇トークから聞こえてきそうだ。

 

「ググらせていただく」はもはや、何に対する敬いなのかがわからなくなる。Googleに対して一歩下手に出ている感じもあるため、いよいよコンピュータが人間の上位に立つ時代が来ているのかもしれない。

 

さて、こうして"google"と動詞について書いていたので、ある程度の「google 動詞 英語」などで検索する人には、ググられるであろう。結局ニッチなところを攻めているのだが。そういう言葉に興味のある人にググられたい。あわよくば、シェアされたい。

 

私は、欲望の沼にズブズブ沈んでいるのである。

 

 

『イレブン・ミニッツ』観たマン

『イレブン・ミニッツ』を観た。


様々な人物の11分間を描く『イレブン・ミニッツ』予告編

 

ある日の“日常”の11分を、様々な人物の目線から切り取った話である。女優とその夫、ホットドッグ屋の男、メッセンジャー、救急隊員などなど、その街で暮らしている人々のたったの11分の話。しかし、運命によって不思議に引き寄せられていく。

 

こういう、ひとりひとりにストーリーがあって、その動きが重なりあって、揺れを起こし、やがてひとつの大きな物語になっている系の話は大好きなのです。ロマンだよね、ロマン。

 

とにもかくにも同じ11分が過ぎいく中で行動がこんなにも違うのか。(そりゃそうだ)それがああなって、こうなって。。。と、“つながる”ことは過去の映画経験値から想像できるけれども、そういう展開になるとは…という印象。

 

舞台の中心となる高層ホテルや、何度も通り過ぎる飛行機の影など、たったそれだけのシンボルで私たちは何か悪いことが起こるのではないかと勘ぐってしまう。 21世紀を生きている人間ならば後天的に植え付けられたものであろう。

 

この映画を観てから、街ですれ違った人にも、私とすれ違う前の11分間があり、その11分間にドラマがあったわけだし...と考えてしまうようになった。ひと駅乗り過ごした人もいれば、割りとでかい買い物をした人もいるし、トイレですっきりした人もいる。そんな可能性を持った人たちと一瞬一瞬を共にしているのが日常なのである。

 

さて、この記事を読む11分前、あなたは何をしていました?

 

 

こつこつ1巻をむさぼって

歳を重ねると、どうしても新鮮な事柄が減っていく。その中で、漫画が提案する世界が違った目線を私にくれるのでとても刺激的だ。気になる漫画があればこつこつと読み進めています。

 

最近は「おやすみカラスまた来てね。」の空気感ににやにや。

 

ひょんなことから“奇跡体験”に出くわし、すすきののバーを継ぐことになった男を主人公とした物語 。主人公、十川善十・24歳のまわりで起こる様々な出会いと恋愛を描いている。

 

24歳といえば、フル充電されていた「若さ」が徐々に失われていき、知らぬ間に、次の世代が押し寄せてきては、人生の先輩と呼ばれだす年齢である。その繊細な世代での恋愛模様。恋愛というこの世で最も美しい底なし沼で、 もがく十川とその回りにいる女性たちとのドラマが可笑しい。

 

それにしても、十川という男がかっこよく見えてしまう瞬間がなんだかニクい。同姓なのに。これって、バーテンダーに対する素敵な印象操作にならないだろうか、と危惧している。有名な3Bという言葉がありますが、この漫画の1ページ目に【CAUTION】として3Bの話を連々と書いてほしい。不幸な女性を作ってはいけないと思う。幸せは案外身近にありますよ、お嬢さん。

 

しかし、「波よ聞いてくれ」も札幌が舞台の漫画だし、私の中で札幌行きたい欲がぐんぐん増している。札幌へ行ったならスープカレー→バー→翌朝は、平岸高台公園Instagram用の動画を撮影、パーフェクトコンボだ。新千歳空港でおみやげに六花亭でエキストラステージクリアさ。言うことなし!誰か一緒に行こうよ。エア・ドゥで。