1月30日 後楽園ホール 中邑真輔 新日本プロレス所属最終試合を新日本ワールドで観戦してた。
その噂を聞いた時は、いわゆる“飛ばし記事”だと思っていただのだが、あっという間にその噂が本当だということがわかり、彼は旅立ってしまう。中邑真輔。ほとんどデビューからそのプロレスラー人生を追いかけていた。
最初は好きではなかった。ガキだった自分は生意気にも天才性が溢れて、何もかも飛び級してしまうような人間が気に食わなかった。だから、最年少で王者になったときとか本当に悔しかった。結局この世は天才が勝つんだよって。ただ、ガキは単純なもので、その考えがたった1ヶ月で変わってしまう。2004年の1月4日のIWGP+NWF統一戦。当時一番大好きだった高山善廣の圧勝を期待していた自分は、粘って粘って最後の一瞬で高山の腕を極め勝った中邑真輔という男のかっこよさに気づいてしまったのだ。
「天才は選ばれるもの」ということを受け入れてからは、主人公を見つめる眼差しで彼を応援していった。総合格闘技に潰されかかっているプロレスを守るため(かどうかはわからないが)の戦い。盟友だったボブ・サップへの宣戦布告。イグナショフへのギロチンチョークでのリベンジ。棚橋とのWエース時代。それがもう12年前。
くねり出してからは、インターコンチネンタル王者の刺激的空間をリアルタイムで見れたことが本当に幸せだった。特に13年の桜庭戦。総合格闘技で結果を残したプロレスラー同士の“総合格闘技でもプロレスでもないプロレス”は今でも記憶から離れない。一番すげえのはプロレスし、プロレスラーは強いことを確信した瞬間だった。
今日の後楽園の興行が終わったあと、なんだか切ない気分になってずっとひとりでめそめそとTwitterでいろんなプロレスラーのつぶやきを見てた。その中のKUSHIDAのつぶやきにグッと来ていた。
世界はそんなに広くない。ボンボヤージュ!よい旅を! https://t.co/ubQRiy5j5B
— KUSHIDA (@KUSHIDA_CANADA) 2016, 1月 30
そうだよ。ちょこっと旅に行くだけ。素敵なことにその旅程もチェックできる時代だ。悲観することなく自分は自分で命を燃やし続けていればいいのだ。安心して彼の背中がとてつもなくでかくなるのを見届けようではないか。
それじゃまた。See Yeaoh Again!!