砂ビルジャックレコード

カルチャーの住民になりたい

しゃぶちゃかちゃかぶーん(『日本で一番悪い奴ら』観たマン)

『日本で一番悪い奴ら』を観た。 


映画『日本で一番悪い奴ら』予告編

 

 『凶悪』で人間の「悪っぷり」を描き、私をヒリヒリさせた白石和彌監督の作品。クライムムービーなのに笑える、そして哀しい。『フィルス』的な感情の揺さぶられ方をされてしまった。ああまたいい映画を見てしまった。今週のお題はこいつらだ。

 

主人公は綾野剛演じる諸星は柔道の有力選手。その力を買われて北海道警察に入ることになる。柔道指導は世界のTK高阪剛!もうこれだけで私はお腹半分満たされた感じであった。さらに菊野に武田幸三も出てくるなんて。それだけでありがとうと言いたい。

 

諸星は、刑事になり、“ダーク”なやり口でエースへ上り詰めていく。そのサクセスストーリーの気持ちよさと代償がこの映画の面白さだろう。それにしても、どうしても頭から抜けないのがひたすら繰り返される「チャカ」と「シャブ」というセリフである。もう「チャカ」が何丁、「シャブ」が何キロ、チャカチャカシャブシャブぶんしゃかしゃかぶーん!なんだか頭がトランス状態になってきた。隠語の過剰摂取。幸いなことに、観た後、しばらく経つが禁断症状は出てないようなので安心した。

 

『日本で一番悪い奴ら』のエッセンスを取り出すとすれば「正義」と「人間」ではないだろうか。『凶悪』でも山田孝之が“執念と化した正義”に動かされた記者を演じていたが、『日悪』でも「正義」が狂ってゆく過程がえげつない。点数のために、評価のために、サクサク違法捜査している道警の暴走。「正義」が「社会正義」の道から外れた瞬間に始まる不協和音を目の当たりにして、「正義」という言葉の難しさを感じる。

 

そして、その不法捜査の空気が漂う道警刑事の人間のだらしなさがおかしくて愛おしい。悪側とつるんで、成果をあげ、夜は女で遊ぶ。殺菌化された現代社会ではありえないドラマである。(ただ、これが実話ベースであったということが信じられない。)そして、悪い奴らの中でも芽生える兄弟関係。僕の中で相田みつをの妖精がぐるぐる回り出す。「にんげんだもの」って深い言葉!みつをってすげえや。

 

忘れっぽい

8月1日になれば、タイトルを変えようと7月に思っていたのに、タイトルを考えることすらも忘れていた。最近何かと忘れっぽい。あれをしようと思えばこれが出る。昔のポケモンみたいに持っていけるどうぐが限られているようだ。所詮ゲームボーイ世代だ。

 

ということで、ブログのタイトルを変えました。意味を考えて単語同士をつなげてかっこ良くしても忘れてしまう気がするので、とにかく響きで決めました。タイトルに全く意味は無い「砂ビルジャックレコード」をよろしくお願いします。

 

 

ゾグゾグしてるねん(『帰ってきたヒトラー』観たマン)

『帰ってきたヒトラー』を観た。

 


映画『帰ってきたヒトラー』予告編

 

ヒトラー」という響きだけで、なんだかゾクゾクしてしまう私はおそらくちゃんと歴史の授業を聞いてきたのだろう。そのヒトラーが現代に蘇ったとしたら・・・と考えたらゾクゾクがゾグゾグに増幅してきた。そのゾグゾグを実写化したのがこの映画である。タイムスリップ的にやってきたヒトラーが現在のドイツを吟味しながら、痛烈にドイツの今を映し出す。

 

なんといってもヒトラーを演じる主人公が“あまりにヒトラーすぎる”が故にドラマなのかドキュメンタリーなのかわからなくなる。実際に、ゲリラ的に撮影したようなカットもあって、過激なサインを出すドイツ国民も現れる。モザイクで覆われた一般市民が画面に映るたびにドキドキするのはなぜだろうか。この、ドキュメンタリーとドラマの境界線上でのヒリヒリする感じがたまらない。

 

映画の中で、ヒトラーは“最悪の技術”である演説で、民衆を巻き込む。あるものごとを聴衆者の身近なものに例えることで政治的物事に親近感を持たせる具合が絶妙である。(あくまでもヒトラー役が演じているのだが)ヒトラーの話術的な本を頭にぶちこんだ上で、この映画を見ると、ヒトラー役の演技力の精密さがわかるかもしれないね。と思い立ったが吉日、書店でヒトラーに関する本を購入してしまいました。ヒトラーの本をレジに持って行くときすごいドキドキするね。エロ本並のリスクバイ

 

さて、ヒトラーは現在に舞い降りて一大騒動を起こすのだが、私みたいな一、一般市民が未来の日本にタイムスリップしたらどうなっちゃうのだろうか。とは、妄想してみたものの、けっこう現実的に、もうその時には時空間移動はインフラになっていて、私が飛んでしまっても、珍しがられずにその辺の役所とかで、時空移動者証明書とかを申請しなければならないんだろうな。子孫がいれば申請は簡単なはずな気がする。結局しゃべりより書類が信頼できる。