砂ビルジャックレコード

カルチャーの住民になりたい

凪強め

近所にお昼しか営業していないラーメン屋がある。このお店には一度も行ったことがなくて、自分は大体、朝か夜にその店の前を通り過ぎては、いつかはここのラーメンを食べないとなあと思っていた。かといって、わざわざお昼に予定を立てて行くこともなく、朝か夜にまいどまいど同じ感情を思い出しながら過ごしていた。

 

休日の昼に、なにかご飯を食べようと外に出る。ここでようやく例のラーメン屋を思い出す。思い出したが吉日だと、そのお昼はラーメンにすることに決定。ラーメン屋さんの近くに行くと、お店の前で一人肩掛けバッグの男性が立っている。そのお店は外から様子が見えない作りになっているのだけど、おそらくお店の中は満員で、この男性は入り待ち客なのだろう。まあまあ繁盛しているお店ということもわかり、期待が高まる。

 

しばらくすると、お店からお客さんが二人出てきた。その肩掛けバッグの男性と一緒に入店する。店内はカウンターだけで、主人ひとりが切り盛りしている。お店の天井の隅にはテレビがついていて、NHKが放送されている。一見なんてことないラーメン屋なんだけども私は異変を感じた。なんだかおかしいのである。

 

それは注文を聞きに来た主人の一言で納得した。「ご注文は?」その主人の声がとってもか細いのである。うまく文字で表すとすれば「こしゅうもんあ?」をウィスパーボイスで聞かれたものと想像してほしい。そう、この店はラーメン屋によくある威勢がゼロな、凪強めのラーメン屋さんだったのである。

 

店主がウィスパーで、こちらが大声を出すのはなんだか恥ずかしい。私も負けじとウィスパーボイスでシンプルなラーメンを注文した。案の定店主は一度で聞き取れなかったようだ。ラーメンができるまで、店内を見渡す。聞こえてくるのは寡黙な主人がちゃっちゃと湯切りをする音と、洗練された日本語によるニュースだけである。もうラーメンを食べているお客さんもいるのに、啜る音さえも聞こえない。コロナによる影響で生まれた黙食という習慣がずっと残っているガラパゴス化されたラーメン屋なのか。

 

と、考察しているうちにウィスパーボイスで「ぉまち」と熱々のラーメンが手元に届けられる。スープを一口飲むと澄んだ魚介の味が体に染み渡る。これでギトギトだったらブチギレている。ギトギト系の店は威勢よくあれとも思った。

 

音を立てないようラーメンを味わいながら、ラーメン屋の威勢について考える。この店は威勢がなくても良いのかも知れない。威勢の良いこの店を想像する。店主しかないのに「いらっしゃいませー!」「はい、おまち!」「またおまちしておりまあああす!」「一万円はいりまあああす」と言われてもなんともいえない気持ちになるのはこちら側だ。威勢というのはいわゆる野球でいえば外野手がフライをキャッチするときに交錯しないように声掛けするものだったのだ。

 

お行儀よくラーメンを堪能した後、互いにウィスパーボイスで会計を済ませ、お店を出る。そういえばセミの鳴き声もすっかり絶えてしまった。ああウィスパーボイスのラーメン屋と思いながら、この店を通るのが楽しみで仕方ない。