砂ビルジャックレコード

カルチャーの住民になりたい

なんかいろいろ(鼻の頭とか見た映画とか)

鼻の頭を押すと痛い。正確に言うと、鼻の頭をした斜め45度から突き上げるように押すと痛い。別にニキビができたというわけではい。どこかで鼻を打ち付けた?ウソップみたいな鼻でないのに?理由ははっきりしないがきっと、寝ぼけながら仰向けでスマホをいじっていて、落としたんだろうな。現代人が鼻を痛める理由の80%なんてスマホ落下による打撲だ。

 

鼻の頭を押すと痛いモードになると、自分が一日のうちに何回も無意識に鼻の頭を触っていることに気づく。心理学的にみると、鼻を触る行為には「緊張している」「嘘をついている」「良く見られたいと思っている」などの理由があるらしい。そっか私は、緊張しつつも、嘘をついてよく見られたいと思いながら一日を過ごしているのか。とんだペテン師だ。

 

最近、知り合いからコーヒー豆をもらったことをきっかけに「豆を挽く」という行為を初めて行った。百貨店でコーヒーミル、ドリッパー、先っぽがほっそいケトルを購入して、とうとうコーヒーの世界に入門していたが、簡単なようで難しい。コーヒーがなんだか薄い。量の問題?温度の問題?原因がわからないまま、ほんのり苦いコーヒーを飲み干す。やっぱりカフェのコーヒーって美味しいんだなあと、ありがたみに気づく。

 

ただ、先っぽがほっそいケトルでお湯を注ぐ瞬間はたまらなく好きだ。ドリッパーに入れた挽いたコーヒー豆にお湯を注ぐと、地底怪獣が出てくるかのようにモリモリ盛り上がる。部屋に広がるコーヒーの香り。ああ、「私はコーヒーを入れているんだ」という満足感に支配される。あとは味だ。もらったコーヒー豆を使い切ったので、新しいコーヒー豆を探しに出ようと画策している。

 

北千住で『ロスト・イン・トランスレーション』のフィルム版が上映しているというので見てきた。意外と好きな映画だ。学生の時に海外旅行に行くことがあった。行きの機内でこの映画を見て、そこからしばらく勝手に『ロスト・イン・トランスレーションごっこをやった。ホテルの部屋の窓の近くに体育座りして、自分とスカーレット・ヨハンソンを重ねたものだ。

 

令和の現在から約20年前に公開された『ロスト・イン・トランスレーション』を見ると、もう二度と会えない美しさが東京に広がっている。人混みやカオスっぷりはそこまで変わらないのに、不思議と空が広く感じるし、キラキラと光って見える。

 

生活様式もぜんぜん違う。なんてったってスマートフォンがない世界なのだから。ビル・マーレイ演じるボブがアメリカの家族からのFAX受信音で目覚めるシーンがある。FAXという文明を通ってきたはずなのに、あまりに衝撃的だった。カラオケボックスで盛り上がるシーンでも、思い出を残す方法がデジカメというのが趣深い。いつか来るんじゃないんだろうか。デジカメの再ブーム。絶妙な画素数が未来の若者にウケると信じて。

 

ロスト・イン・トランスレーション』の結末もスマホのない時代だからこそ成立する。東の果てで、孤独になったからこそ偶然出会えたボブとシャーロットは、東京のど真ん中でキスをして別れる。きっとこの先二度と会うことはないけど、お互いの心のなかに生き続ける。これがスマホがある世界だったら別れた相手の可能性がグンとあがるわけで。繋がりやすいことの弊害みたいな部分を感じた。いつか行けたらいいなニューヨークバー。

 

新日本プロレスではジュニアヘビーの頂点を決める大会がはじまった。コロナも落ち着き始めたこともあって、久しぶりに海外からの未知なる競合が参戦しており、非常にワクワクしながら配信サービスで興奮している。なかでもアレックス・ゼインという、衣装も髪も真っ赤なレスラーが愛おしい。

 

試合もめちゃくちゃかっこいいのだが、彼はTwitterでとにかく日本に馴染もうとしているのだ。仕事で訪れた土地の文化や慣習を前向きで吸収しようとする人にめっぽう弱い。

 

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このグーグル翻訳に直ぶっこみした日本語も味があるし、顔文字の使い方も完璧なのである

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黒蜜=不思議なタレ

 

そういえば、アレックスが「日本の伝統的なご飯食べれるところない?」というツイートに「英語メニューもあるから松屋がおすすめ」というリプを見て感銘を受けてしまった。たしかに牛丼屋はかなり正解に近いし、定食メニューが充実している松屋なら最高だ。いつか、訪日外国人に同じ質問されたときにベストアンサーできるように覚えておこう。