砂ビルジャックレコード

カルチャーの住民になりたい

なんかいろいろ(単独ライブ2本観たのとか)

最近は音楽ライブよりお笑いライブを見る回数のほうが多いかもしれない。音楽ライブだと声を出せず、楽しさを分かち合えないのが本当に辛い。その分お笑いライブは、笑うことが許されているのが本当に大きい。自分だけ面白いことを見つけることができる点も適している。配信への相性もよかったりする。

 

最近、KOC2021の1位2位が単独をやっていたので、リアル、配信と機会を作って見に行った。コントの単独ってほんとにいいもんですよね。

 

草月ホールにザ・マミィの単独「Dusty」を見に行った。会場に行ってみたら最前列で少しビビる。変なおじさんと社会の中に迎合しながらも、どうしてもはみ出してしまう者たちをすくい上げる表現にうっとりする。ネタもそうなんだけど、コントの中の小道具の的確さに感動していた。

 

たとえば、ボランティアであることを見た目だけで伝えるためにはどうすればいいか、とか、新宿タイガー感を出すにはどういう小道具を積み上げればいいのかとか、そういう細かい小道具の精密性がリアリティを立ち上げて、観客は違和感を持つことなしにその世界の住人を受け入れられることができる。観客なんだから、単純に面白いかどうかで楽しめばいいのだけど、コントの見方をもうひとつ教わったようなライブだった。

 

KOC2021チャンピオン空気階段の「fart」は配信で。こちらも出来れば生で見たかった。「fart」=おなら、愚か者という意味で、この「fart」とリンクした展開のコントが何本かあった。登場人物が裸だったというのはよくあるけども、"全裸"だというのは史上初だったのではないか、というぐらいオープニングのショートコントの初速にシビれる。

 

空気階段の単独は、もぐらさんかかたまりさんのどちらかの生き様が透けて見えてくる。今年は完全にかたまりさんの年だ。「東京」というコントでは、岡山から上京する若者が登場する。「じゃがいも星人」といじられて早々に挫折する慶応大学法学部の学生のifを、コントとして昇華している。社会のレールからはみ出した者を愚か者にしてしまいがちだけども、愚か者だからこそ描ける世界がある。特に最後の「fart」では、絶望の中にいたかたまりさんがもぐらさんと出会って、愚か者にしか見れない景色が広がっていくようなコントであった。「屁出ないバカより、屁出るバカのほうが面白いに決まっている」というセリフに深く頷く。おならで笑い合える仲ってなんて素敵なんだろう。

 

いろいろと「fart」の感想を漁っている中、このnoteに出会った。まったくこの方のことなど知らないけど、この高校生の方が、コントによって、空気階段によって、fartによって、明るい未来を描けそうなら、私はそれだけで十分幸せな気持ちになった。

 

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