砂ビルジャックレコード

カルチャーの住民になりたい

黄金の定食によせて

 

佐久間チルドレンなので第1回はどうしても見なきゃ!と見た「黄金の定食」に映し出されていたのは人生の縮図のような幸福な30分だった。定食屋の壁にずらりと並べられたメニューから想像する楽しさ、そのメニューから選ばなければならない苦しさ、その定食を無心でかきこむ気持ちよさ。定食屋におけるひとつひとつの流れにフォーカスした内容を経験しているのに、とてもまぶしく見える。自分たちが定食で行う思考の流れにはこんなドラマが隠されていたのか。

 

メニューの文字から想像する→実際の調理工程を見る→常連さんからおすすめを聞くという最終決定までのプロセスも緻密だ。なんとなく、この先の人生でどういう職業を選んでいくのかという部分とも重なった。存在を知って、仕事内容を知って、実際の先輩から話を聞く。大小あれど、人生は選択の積み重ねである。人生の選択に勝利し続けた者、それが定食屋の常連である。

 

常連なんて、正直ただのおじさんなのに、あの瞬間だけは定食屋の何もかもを知っている神様のように後光が差していた。その結果、シソンヌの長谷川さんが年長者の意見を受け入れて、鯖塩焼き定食を選ぶのは納得できるし、なにわ男子の大橋くんが常連がおすすめした裏メニューのマグロ山かけを選択したときには、なぜだかガッツポーズが出た。あんなにメニューが立ち並んでるのに裏メニューに惹かれるのは人間の性だ。人間とは本当に欲深い。だが、それがいい

 

今までの「選択」が求められるグルメ番組では、何らかのペナルティ(食べられない、全員分支払う)や、ミッション(〇〇個食べろ、店のナンバー1を当てろ)というものがつきもので、「選択」の結果として「失敗」の可能性があったが、黄金の定食はどうだろう。悩んで悩んで「選択」した定食を食べるだけなのだ。それだけで大成功だ。成功が確約されているというだけで、視聴者側のストレスも少ない。

 

悩んだけど選ばなかった定食を常連さんが食べるというシステムも抜け目ない。食べるかもしれなかった定食を平らげる常連さんの笑顔を見ると、自分もこんな笑顔だったのかな、と違う世界線の自分を妄想しだす。ラ・ラ・ランドじゃん。それでも、自分の直感を信じて頼んだご飯ももれなく美味しい。どれを選んでもハッピーエンドだったのだ。こんな人生最高じゃんよ。ハッピーエンドは定食屋さんにあったのだ。