今年の節分は2月2日とのことだ。そして昨日は2月2日だ。豆も撒いていないし、恵方巻きも食べていない。パスタを茹でて、パスタを食べただけだ。節分に求められる手の動き、口の動きを満たさないまま夜を終えようとしている。
もっと口と手を動かしなさいよ自分!と思った。今流行りのClubhouseに潜入することができた。招待制というのを知っていたけどとりあえずアプリをインストールし、とりあえず登録したものの招待がないと入れないとの表示。案の定わかっていたが、インストールした翌朝、iPhoneには登録完了の通知が。昔、一度だけ飲みに行って携帯番号を交換した方から招待されていたのだ。その彼が、間違えて私を招待した率100%なんだけど、権利返還はできないものなので、呼ばれることにした。
いろいろな部屋に入って話を聞く。しかし、どこか立ち話を盗み聞きしている罪悪感が鼓膜にまとう。この罪悪感を抑えるには話す側に立つしかない。ただ私はほとんど事故的にClubhouseに入場した身。馴染みの仲間もいない壁の花だ。入り口のIDチェック、ガードマンによるボディチェックもされることなく入ったようなもので、もう空っぽのプラカップを飲んだふりしながら、部屋を回ることしかできないいつかのクラブハウスで行われたオールナイトライブを思い出した。だからClubhouseなのかと納得した。
口を動かせないなら手を動かせ!とばかりに、こうやってブログを書いている。先月は3つしか書けなかった。褒められたものではない。(そもそも褒めるやつなどいない)自分は観た映画の感想を書くことが多いけど、そういえば今年に入って新しい映画を劇場で見ていないことに気づく。結構な緊急事態だと感じている。自分の嗜好が変わったのか、それとも新しいものを吸収するキャパシティが満タンになったのか、少なくとも何か変化があるみたい。こちらは追ってリポートしたいと思う。
映画館初めはきちんと果たした。リバイバル上映している『バッファロー’66』を観に行った。
初めて観たのは高校生ぐらいだったと思う。ビリーの家のシーン、ボウリング場でのタップダンスとモーテルでのシークエンスがまだ柔らかかった脳みそにズドンと残っている。そしてとうとう劇場で本作を体感できたのだ。大人になって、色々知識がついた状態でみると違った趣がある。ビリーってこっち側の人間じゃないか、とか、ダンススタジオの電話のシーンで、あんなカットがあったのか、だったり。劇場で見ることでようやく本作を「観終えた」という感動が訪れた。それにしても、『バッファロー'66』のラストカット最高すぎませんか?あれだけを壁一面に貼った寝室に住みたいもんだ。