砂ビルジャックレコード

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テレビの向こうは何がある(『さよならテレビ』観たマン)

『さよならテレビ』を観た。


薄っぺらいメディアリテラシーはもういらない!映画『さよならテレビ』予告編

 

メディアに関するWebの記事やツイート限りの情報だが、テレビの主な視聴層は60代以上で、テレビ局もそれをターゲットにした番組作りをしているらしい。それより下の世代になると、ネットを中心に情報を収集しているとのことだ。(だって、現にテレビの視聴層についての情報をネットで仕入れている私がいる)もちろん、ネットばかりで情報の偏りを避けるために、マスメディアであるテレビを見ている人も多いと思う。

 

ネットに玉座を奪われつつも、テレビの影響度は未だおそろしい。Twitterで急上昇ワードトップ10には、必ず放送中のテレビ番組の内容が入ってくる。朝から昼にかけては大体、情報番組でのコメンテーターの炎上発言、夜は好きなアイドルや俳優が出演しているドラマの感想が占めていて、深夜になれば海外スポーツに関するツイート。上手に2つのメディアに浸かりながら素敵な消化活動をしている。そんな中で思う。テレビってなんだろう?

 

『さよならテレビ』はインターネットが主流となった時代に改めて、テレビの役割や報道番組の在り方を考える東海テレビ制作のドキュメンタリー作品だ。東海テレビの報道部に固定カメラを置いて、日々の仕事風景や、働く人々、そこで起こるトラブルなどテレビ制作現場の決して見えない部分に光を当てている。

 

若手記者のドタバタや、夕方のメインキャスターの苦闘っぷり、視聴率至上主義の現状などが画面を通して伝わってくるし、東日本大震災時に問題となった「セシウムさん」事件に触れるくだりもあったり、東海テレビの今を知るには良い作品だ。去年にドラマ化され話題となった『チャンネルはそのまま!』はテレビ制作の裏側を陽的エネルギーを保って描ききった作品であるのに対し、『さよならテレビ』はシリアスな雰囲気を漂わせたドキュメンタリーなのだ。そう、「ドキュメンタリー」、、、なのだ。

 

「ドキュメンタリー」とはなんだろうか。そこに映し出されているのは真実ではあるが編集されていたもの。そこには作り手の意図やメッセージが入っていることを無視してはいけない。他人が、明確な目的もなくアップしたリアルが簡単に見られる時代に、ドキュメンタリーという限りなくリアルに近いリアリティの存在意義を考える。自分の知らない景色だからこそ、それを鵜呑みにしてしまう危険がある。受け手である私たちのリテラシーも試されているのだ。画面に当てると嘘かどうかわかるライトがあればいいのに。