砂ビルジャックレコード

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ゾンビと共に生きる(『ゾンビランド ダブルタップ』観たマン)

ゾンビランド ダブルタップ』を観た。

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人間、死にたくなるときはあるけど、生きていればきっといいことがある。そのことをエンターテインメントを介して強く教えられた。生まれる前に解散していたバンドの再始動、伝説の漫才師の復活、あのドラマシリーズの新シーズン。その瞬間に何度も立ち会うことが出来た。終わっていたものが動き出した瞬間の喜びを知ってしまって以来、たとえ、物語が終わったとしても、いつか続きがあるのではないかと期待して生き続けている。

 

そして、またひとつ生きててよかったと思える瞬間がきた。あの『ゾンビランド』が10年ぶりに続編をやったのである。しかも、10年前と同じメンバーで!10年間に色々なことがあったよ。各々の人生について語りたいところをぐっとこらえて『ゾンビランド ダブルタップ』を観る。ダブルタップとは二度撃ちのこと。二度撃ちが何をさすかは、前作を観た人ならばすぐに思い出せる。

 

ゾンビ×コメディというスタイルであるから、メタ的構造はもちろんお手の物。そういうボケを細胞レベルで求めている私がいるし、ジャンルとして市民権を得た現代のゾンビ映画で尖るならそういうボケは欠かせない。むしろ何でもやってくれよ。舞台上にサンパチマイクが置いていれば漫才、劇中にゾンビが出てくればゾンビ映画なのだ。制限の中で自由が暴走するから面白い。

 

そういえば「ゾンビものの続編」というものは珍しい。よくあるゾンビ映画の展開といえば「平穏な日常」→「突如ゾンビが発生」→「ゾンビから逃げる主人公(そして同時並行で繰り広げられる人間同士のいざこざ)」→「主人公が無事生き残るor死ぬ」で物語が終了する。しかし、生き残りエンドはあっても、ゾンビを全滅させるエンドは存在しない。一難乗り越えたところで、物語が終わってしまう。その先に、主人公がうっかりゾンビに噛まれたとしても僕らは知る由もない。

 

 

この『ゾンビランド ダブルタップ』は「ゾンビが蔓延ることが日常になった」という違う角度の話となっている。それゆえ、なんだか死にそうにない(いや、死にそうになるんだけどね)。ゾンビをタイプ別に称したり、ゾンビも倒し方に芸術性を求めたり、文化的な余裕も出てきている。この世界を10年で順応できる人間の可能性よ。たとえ死の危険が隣り合わせにあっても、そういう人間らしい美的感覚を惜しまずに楽しんで生きていきたいよね。