砂ビルジャックレコード

カルチャーの住民になりたい

お前の目となり、耳となろう

年を取れば取るほど足りなくなるもの、それは時間である。特に簡単に音楽、映画、ゲームを簡単に移動中に手に取るようになった現代において、人々は常にマルチタスクで生きている。

 

私だってそうだ。家から駅までの道は、新しい音楽をチェックし、電車の中ではダウンロードしておいた映像作品を見る。SNSを眺め、周りの世界の動きもアップデートしないと。もちろん社会に利益をもたらす活動も必要だ。余裕があれば、ラジオを聞きながら作業をすすめ、Webニュースもチェックする。ニュースで気になった本は、カフェでおしゃれに読み耽る。こんなコンテンツを消費するなかで襲ってくる食欲、睡眠欲、性欲にも時間を割かなければいけない。単純に24時間じゃ足りないのだ。人生を豊かにするコンテンツを容易に取り込める幸せに苦しめられている。現代人としての立派な病に罹っていることを誇るしかない。

 

こうやってブログを書くときにも時間を割いているわけだが、これも火の車状態だ。火の時計というべきか。火時計。それはそれで、ヴィレヴァンとかで売ってほしい。

 

なるべく映画館で見た映画はブログに落とし込みたいと思うのだけど、まとめるまでの頭が回らず、時計の針は回りまくって、結局、後回しになってしまう。なるべくペースをあげて書きたいんですよ。ただ、睡眠欲に負けてしまう。抗った罰として体調が悪くなってしまう。情けない。でも、かけ!って「かくかくしかじか」の先生が言った教えはなるべく守っていきたいんだ。

 

4月は魔の季節だ。改編期でオールドメディアより新しいコンテンツの大洪水が降り注ぐ。特にオールナイトニッポン0がアツい。私は霜降り明星と佐久間宣行プロデューサーの虜になってしまった。耳も足りない。

 

霜降り明星のANN0は、同世代がパーソナリティーになってゴリゴリに笑いのナイフを突き立てている感じがえげつない。リスナーからの「5000円札の新肖像画はカンカラ」というネタメールに大爆笑する粗品さんが愛おしい。もうすぐ令和だというのにカンカラで笑ってくれるだろうというリスナーの勇気にも拍手を送りたい。カンカラの時代劇コント楽しかったもんなあ。オンバトの許容性の代表格だもんね。

 

と、同時に僕らが子供のときに見上げてた大人の姿に、いつの間にか自分が重なっていたことに気づく。幸田シャーミンのモノマネで笑う大人にポカンとしていたちびっ子が、ローラ・チャンとか根本はるみというワードで爆笑できるようになったのだ。おぎやはぎを見て「象さんのポットみたいだね」と批評する書き込みに何故か否定された気になった思春期の少年は、いずれ現れてくる新星に「福田徹平みたいだね」と、心なく言う日がやってくるのかもしれない。(そして、そんな大人にはなりたくない)

 

佐久間さんのANN0は、もう勝手にゴッドタンのスタッフになった気で聞いている。その事象に興味を持てば持つほど、表に出ない人の話の考えていることが気になってしょうがない。へ〜そんなこと考えているのか〜 へ〜そんな経緯で今につながるんだ〜と、なんだか有名料理店のレシピを教えてもらっているみたいだ。

 

特にこの間の劇団ひとりさんとのスペシャルウィークはゴッドタンを10年見続けているものにとってはたまらない時間であった。キス我慢選手権や、景気づけにおっぱい見せての裏側。いまも強烈に残っている画面の前の狂気を記憶している大脳皮質が疼いた。

 

そんななか、佐久間さんが一般人のブログを情報源としてチェックしているという話をしていて、ドキッとした。それは言わずもがな自意識過剰である。きっと、あそこのブログを見ているんだろうなあと、ポップカルチャーに明るいとんかつラジオDJの脳内を想ってみる。

 

こんな学級新聞みたいなブログ、無人駅みたいなアクセス数のブログなんて見ていないに決まっている。でも、もしかしたら、たまたま踊り場に立ち止まって私の書いた文字を見てくれるかもしれない。迷い込んだ無人駅の掲示板に書かれている伝言をじっくり読むかもしれない。実際、誰かがここに来てくれて文章を読んでもらっている。その先は知らないけれど、読んだ人の行動が変わる可能性がゼロではないと信じる勇気が、この記事を書かせたのだ。

 

だから、私はお前の目となり、耳となろう。そのための時間なら惜しまない。