『ボヘミアン・ラプソディ』を見た。
私みたいに生まれたときからCMやBGMでQUEENの音楽を知った人たちにとって、QUEEN、あるいはフレディ・マーキュリーの存在というのは軽く見ているのかもしれない。英語に強くなくても簡単な英単語で口ずさめる。フレディ・マーキュリーの見た目インパクトがすごい。きっと深掘りしなければこの程度の知識だし、少なくとも僕は『ボヘミアン・ラプソディ』を観なければずっと彼らが世界に遺した偉業を当たり前のものとして受け取って生き続けていたはずだ。
前身バンドであるスマイルからQUEENが結成されるところから『ボヘミアン・ラプソディ』は始まる。そもそもフレディ・マーキュリーが移民だってことも知らなかったし、「マーキュリー」どころか「フレディ」までも自ら名乗ったことも、過剰歯だったことも。そもそも過剰歯という言葉さえも。フレディから教わるものは非常に多い。徐々にスターダムを駆け上がる彼ら。そして、表題ともなる『ボヘミアン・ラプソディ』の制作風景が描かれる。
特に物心ついたときからハッチポッチステーションを見て育ってしまった我々のような世代においては、『ボヘミアン・ラプソディ』は知らず知らずに身にしみている音楽であって、なんなら原曲の方に違和感を覚えてしまう。ピアノの伴奏が強くなってきたら、それは「犬のおまわりさん」が始まる合図なのだ。ママの名前は美代子なのだ。ハッチポッチステーションのパロディもおかしいけども、原曲だってもっともっとクレイジーだった。突然のオペラて。この曲が評価される世界で良かった。この作品が世に出なかったら、、、と考えると巡り巡って僕の人生も少し変わっていたのかもしれない。
物語のクライマックスはLIVE AIDでウェンブリー・スタジアムの何万人の前でのライブ。これが圧巻だ。QUEENの目線で、その大観衆を見渡せるだけでも清々しいのに、ライブも味わえる。僕の大好きなRadio GaGaもやってくれた。こんなに幸せになれる映画はあるのだろうか?全てはハッチポッチの下地のおかげだ。