『パパはわるものチャンピオン』を観た。
プロレス好きで、映画好きな私なので、プロレス映画というのはハンバーグカレーみたいなものだ。しかも主演がプロレスラー、しかも"100年に1人の逸材"棚橋弘至がやるというわけだ。和牛ハンバーグが大胆に乗ったカレーだ。食べない訳にはいかない。
そして棚橋弘至演じる大村孝志の息子役は寺田心くんだ。そう考えるとカレーは髪の毛のように比較的サラサラなのだろうか。食べやすいけど喉奥からぐっとスパイスが効いてくるような。きっと手間隙かかったものだ。そんなハンバーグカレーが1800円なら食べにいくでしょ?老舗の洋食店のハンバーグカレーと考えてご覧なさい。いつのまにかお腹が減ってきたが、これは映画だった。
息子にプロレスラー、しかも悪役であることを内緒にしてきたかつてのエースレスラー・大村だが、ひょんなことからその正体が息子にバレてしまう。ピークを過ぎた往年のレスラーが再起を図って挑むという構図はミッキー・ロークの『レスラー』を彷彿とさせるが、刹那的で破滅的なランディ・ロビンソン(孤独に命を燃やす感じもたまらない!)と違い本作の場合は、レスラーのとともに一人の父親であり会社員という属性が非常に強く、それゆえ、大村が抱える葛藤も、我々に身近なところにある。社会の一部としての悪役レスラーであるゴキブリマスクが丁寧に描かれている。
プロレスラーがプロレスラー役としてプロレス映画をやっているのだから、映像としてのプロレスはまごうことなき本物の迫力だ。四方を観客に囲まれるスポーツでありながらも、会場では体験することのできないアングルで一進一退の攻防が観れるのは映像ならではであり、かつて映画館でやっていたG1 3Dが生かされていたのならいいのになあと思ったり。
プロレスについての知識がある人間にとっては、もしくはこの間の情熱大陸を観た人にとっても少なくとも「いや、大村って棚橋そのままやないかい!」とつっこんでしまいたくなる。奪われた団体のトップの座、頂点を取り戻そうもがく美しさ、膝の激痛、家族への愛。なにもかもが棚橋だ。そのキラキラしたものの裏には圧倒的な努力と気力が潜んでいることを僕らは知っている。
そんな超人、棚橋弘至に、大村孝志=ゴキブリマスクという薄皮一枚ほどしかないフィクションをかぶせることによって、プロレスを知らない人たちであっても、大村(=棚橋)に対する感情移入がしやすくなっている。理想と現実、エースとジョバー。ひとりの父親と社会のうちのひとり。そんなものさしの使い方を知って、自分の人生にあてはめてみる。気づかぬ間にわたしたちも社会で生き抜くためのマスクをかぶっている。