『ブリズグビー・ベア』を観た。
まだ自我がふわふわした頃に観るこども向けテレビ番組の影響力はとてつもない。だって私がそうだもの。眠い目をこすりながら、母親の焼いたトーストを食べながらポンキッキーズを観る。食事と鑑賞を一度にできず、トーストを手から落として母に怒られる。そんな日の繰り返しだった。
ポンキッキーズの全員集合のオープニングはわくわくしたし(あれがスチャダラパーのイントロと知ったのは大人になってからだった)、何回も8時8分を連呼されるのは幼心にムカついた。ピエールは俳優でも電気グルーヴのメンバーでなくポンキッキーズの人。
得てして、子供番組というのは「偉大なるマンネリ」である。カルト的な雰囲気を漂わせながらある程度のフォーマットを繰り返し観ることで、こうやって僕たちの心に残っていく。『ブリグズビー・ベア』はこの映画の幹となる子供番組のタイトルで、主人公ジェームスは、この独特の世界観の虜となった一人だ。っていうか唯一その番組を知る人間であった。というのは、この『ブリグズビー・ベア』は幼かった頃の彼を誘拐した男(=つまり彼から見れば父親となる)が彼のためだけに作った番組だったのだ!
この父親役だった男の愛情よ!倫理的に見たら感動してはいけないのかもしれないが、つくり手の愛情を感じる番組なのだ。どこかで見たことのあるキャラクターが出てきたり、悪役もサン・スナッチャー(太陽泥棒/息子泥棒)とダブル・ミーニングしているのにもニヤニヤしてしまう。
その両親”だった”2人は捕まってしまい、もうこの展開で映画が終わるんじゃないか?ぐらいの衝撃から、ジェームスの新しい物語が幕を開ける。結果的に”親”を失ったジェームスだったが、頭の中に残るのは『ブリグズビー・ベア』のことばかり。そして彼はある決断をするのだ。そうだった、こどもの続きは大人だった。
新たな世界に投げ出されたジェームスの新鮮な表情も愛おしいし、そしてジェームスを受け入れる新たな世界側の人々も愛にあふれている。ジェームスが激推ししている『ブリグズビー・ベア』がいつのまにか友人の中でシェアされて、そしてYouTubeで拡散されていく描写も非常に現代的だ。
そういえばポンキッキーズのオープニングもYouTubeで検索してたよ。あのとき観ていたこどもたちはいなくなったけど、いなくなったわけではない。同じ画面を見ていた大人がいるだけでなんだかほっとする。安室ちゃんもランランもかわいかったよなあ。
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