『クソ野郎と美しき世界』を観た。
あれから僕たちはテレビを、テレビ業界を、閉鎖的な物だと思うようになってしまった。コンプライアンスという重しをのされて、水分が抜けていくそれの状態を思えば、まだ見ぬ世界に足を伸ばすのは当然だろう。この社会はひとつだけで成り立っていないということ。
『クソ野郎と美しき世界』はオムニバス3本とその3本のエッセンスが、ごった煮のように混じり合う1本の計4本で構成されているものだ。主役は稲垣吾郎、草彅剛、香取慎吾のご三人。草彅剛の彅は弓へんに前に刀。いつまで機種依存文字やねん。
『ピアニストを撃つな!』は吾郎ちゃん×園子温監督。なんだろう園子温はもう「園子温」というジャンルだ。いくつかの構成要素さえ満たせばあなたも簡単に園子温になれるはず。おもしろいことに「園子温」にピアニスト吾郎ちゃんのキザっぷりがマッチする。「園子温」特有のくだらなささえ薔薇の香りが立ち込めるかのような世界にしてしまうのは吾郎ちゃんだからである。サンキューゴロー。
『慎吾ちゃんと歌喰いの巻』は並行世界の香取慎吾を描いたかのような作品だ。元歌手で画家となった香取慎吾の目の前に、歌を食べて生きる歌喰いという少女が現れる話だ。歌喰いに歌を食べられると、“なくなってしまう”のだ!(そして、彼女の臓器でクソとなる)手荒い職務質問を受けるサラリーマンや、東京の生きづらさを愚痴るロシア系の女など、東京が現在進行系でディストピアとなりつつある都市として描かれている。その都市に生きる慎吾ちゃんと歌喰いのやりとりは微笑ましく、閉鎖的な社会の唯一の救いのようだ。
『光へ、航る』はツヨポン×尾野真千子×太田光監督の作品で、3作の中で最も現実的な展開で描かれている。移植された息子の右腕を探す(ここだけ読むとジョジョ感がすごい)ロードムービーだ。太田光監督らしく時事ネタや掛け合いの妙を盛り込みつつも、ヒリヒリとした人間臭さが表現されている。地図に関するシーンを入れるなど、ニヤッとさせるアクセントも盛り沢山だ。
この3作の登場人物が混じり合ったのが『新しい詩』というミュージカル調のもので、それぞれの作品で語られなかった部分が明らかになり、物語がひとつにAssembleされていく。LEVEL5.5番地のような空気感で、溜め込まれた鬱憤を発散するがごとく動き回る彼らに思わず私の体もリズムをとる。牢から脱出したことに対する決意表明のような作品だ。
どうしても過去を知りすぎている僕らは、その物差しで何かを見出そうとする。それは彼らがスターであるからだ。クソ野郎となった彼らには、失うものなどなにもない、というよりもうとっくに失いきった。ただ、クソ野郎(Bastard)になってもBa"star"dの資質は決して消えないのだ。さあ、クソ野郎たちの再起動を祝福しようではないか。