砂ビルジャックレコード

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なんとなく完璧な最期(『ロング、ロングバケーション』観たマン)

『ロング、ロングバケーション』を観た。 

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ニュースを見ていて死を意識することがある。最近で言えばサッチーだったり、大杉漣さんの名前を聞いたときだったり。同じ時代を生きていた人が別の世界に行ってしまう、それだけで私の中のほんの一部、きっと細胞ぐらいの大きさだけかもしれないが、死んでしまったような気がする。不思議な、でもなんとなく腑に落ちた喪失感。そうやって、少しずつ少しずつ自分が小さくなるのだろうか。それを老いと人は呼んでいる。

 

この『ロング、ロングバケーション』の主人公は老夫婦だ。老夫婦が「レジャーシーカー」というキャンピングカーに乗って子どもたちから逃げ出しちゃったというロックな冒頭から始まる。心配する子どもたちを尻目に2人はヘミングウェイの生家を目指す。この老夫婦のキャラクター(兼病状)が愛おしい。おじいちゃんはいかにもという出で立ちの文学教授。しかしアルツハイマーなので、言ってることがむちゃくちゃだったり、衝撃のエピソードが語られる。おばあちゃんは、このおばあちゃんのツッコミ役にといえるのだが、末期がんだ。つまり、2人だけで過ごす時間は限られている。

 

孫がひとりで祖父母の家に行くという状況より遥かに不安になる2人の珍道中。2人の語るエピソードから関係性が感じられるのも素敵だし、それでも、なんとなく、なんとなく一歩ずつ完璧な最期を求めて旅するふたりは微笑ましい。ハプニングにものらりくらりと立ち向かい、キャンピングカーで迎える夜の終わりの甘美なひとときにほっとする。物語のラストのほうに、そのキャンピングカーであることが行われるのだが、そのシーンが美しい。

 

まだ健康寿命はたくさんあるのにこういうの弱いんだよなあ。この映画を参考にいつかくるそのときのために考える時間があるとポジティブに思おう。その前に素敵なおばあちゃん候補を見つけないといけないが。