『ノクターナル・アニマルズ』を観た。
人間の脳というのは面白い。例えば、目で見ているはずの文章が、文字が、その著者の声で再生されてしまうことがある。ドラマでこういうシーンをよく見かける。別れの手紙を受け手が音読していると、書き手の声がオーバーラップされて、やがて画面が乗っ取られる。そこには手紙を書いた人物が、あくせく次のステージに向かう場面か、ただただ北を目指す場面が映し出される。そして、気づけば切ないメロディーも流れている。そして、画面の向こうの私の涙腺はよわよわしたり、しなかったり。
『ノクターナル・アニマルズ』も、いわゆるオーバーラップする展開が物語の根幹を担っている。主人公のスーザンの元に、元夫であるエドワードから、彼が書いた小説が送られてくる。その小説を読み進めていくうちに、スーザンはだんだんとオーバーラップしはじめるのだ。
そのオーバーラップの深度がすごい。没入しやすいんだろうな。小説の主人公の“実写版”がその元夫で再生されていく。気づけば小説(=想像の実写版)とスーザンの現実がなんとなくリンクしていく。感化がすごい。
その気になる劇中の小説だが、舞台は、テキサス。父(つまりエドワードだ)、母、娘3人で家族旅行に向かう途中に怖そうなお兄さんに絡まれる。この冒頭の出会いの場面が本当に顔をそむけたくなる。事件の起こり方が「もう、絶対悪い予感!」と思わざるをえないし、それが順当な展開になるのが精神的にくる。まさに「闇の獣」だ。
やべえ男を演じるアーロン・テイラー=ジョンソンの怪演も凄まじい。隔離されたテキサスの田舎の怖さ、飛び交うハエの不潔さ、砂漠が掻き立てる絶望感で、喉がカラカラになる。水をくれよ!乾燥する季節だし、水分をお求めになって観ることをおすすめする。
そういえばあなたが読んでいるこの文章。どんな声で再生されているんだろうか。高い声?低い声?はたまた天龍源一郎?