砂ビルジャックレコード

カルチャーの住民になりたい

奇数音と偶数音

感動したとき、衝撃をうけたとき、それをなんとか言葉にしようと、あわよくば自分なりの表現方法に記そうと思うのだが、それが出来ない。もどかしい。なんとか脳で思ったことがそのまま言葉となって落ちてくる脳内回路を開拓したいのだけど、小さな掘削員たちはまだ発見できていないみたいです。

 

短歌をこつこつ作っていて、するっと出来るものもあれば、ああでもないこうでもないと唸りながらピンセットを使うように紡ぐ。満足いくものが出来たら嬉しいけど、ただこれを見せようとなるとなんだかもったいなくなる。Twitterでひょこっと作品を発表できる人は、度胸があると思う。完成したボトルシップを川に浮かべるようなことを簡単にやってしまう。あっという間に時流の底に行ってしまうのに。

 

最近読んだ本の影響を受けて、短歌でディレクションするという目標が出来た。(これは、短歌には限らないけど。)「受け手に委ねる」なんて無責任なことを言わずに、しっかり、そのものを読んだ人、感じた人に99%同じ風景を見せるようにしたいのだ。そこまでディレクションして、はじめて残りの1%を「受け手に委ねる」ことができるのではないか。そう気づいたとき、いかに自分の作ったものが自己満足に溢れていたのかと思って恥ずかしくなる。その場しのぎの甘美な言葉で満足するような人間はもうやめよう。

 

とはいえ、短歌も出がらし気味だったので、頭の体操を兼ねつつ若さに任せてラップのバースを作ってみた。韻を踏むのは結構好きだし、ある程度短歌を作っているので、という変な自負があったがそもそも作り方が違うではないか。57577が全くリズムに合わないのだ。

 

そういえば音楽って偶数が主の世界だった。48488で32音だからと、melodyに合うように変化して、韻を踏む。そしてtofubeats.feat 森高千里の「Don't stop the music」のinstに合わせてラップしてみる。清々しい恥ずかしさだ。とはいえ、自分がラップし終わった後に森高千里がサビを歌ってくれるので高揚感がとてつもない。これはいい遊び方を知った。

 

melodyがあればラップ、melodyがなければ短歌に。そんな感じで行きたい。