『散歩する侵略者』を観た。
今作は、昨年観た『太陽』と同じイキウメの戯曲が原作である。これは見るしか無いぞ!と固い決意を胸に映画館へ向かった。おらたちのまさみも出てるのだ。まさみ、俺だ!
ある町が舞台の静かなSF作品。数日の行方不明の後に、帰ってきた夫は別人格になってきて帰ってきたことから物語は始まる。夫は“宇宙からの侵略者”となっていて、町をふらふらっとさまよいながら、周りの人々を侵略していく。その侵略された夫役が松田龍平で、突然のキャラチェンジに戸惑いながらも伴侶の努めとして支える妻がまさみである。
なんといっても松田龍平の“異星人感”っぷりが絶妙だ。街中で、「あ、この人の中に今、魂が入っていないな」という人とすれ違うことがある。まさにその人物の表情で、松田龍平は淡々と侵略をしていくのだ。「魂が入っていない」を「何者かに侵略されている」と言い換えてもあながち間違いじゃない。
侵略といっても決してフィジカルだけに頼らないのがこの侵略者たちの特性だ。彼らは人間の“概念”を奪って侵略への下準備を着々と進めていく。この“概念”というものを奪うという発想がいかにも戯曲的である。さまざまな概念を奪取する瞬間も描かれているのだが、概念を奪われた人類のリアクションもたまらない。
私が、この侵略者たちに不幸にも遭遇し、概念を奪われたらどうなってしまうのだろう。そしてどんな概念を奪われてしまうのだろう。“概念”という概念を奪われたら、その他の概念の器がすべて壊れ去り、私は犬のように野垂れ死ぬのだろうか。私は、血の通った概念と言ってもあながち間違いじゃない。
とにもかくにもこの映画では、牧師の東出昌大さえ見ていれば元取れたと言ってもあながち間違いじゃない。