『ラ・ラ・ランド』を観た。
アカデミー賞最有力候補なのではないかということで話題が持ちきりの、このミュージカル映画。がっつり公開当夜に観に行ってきましたよ。主演はライアン・ゴズリング(ジャズピアニストのセブ)とエマ・ストーン(成功を夢見る俳優の卵・ミア)のご両人。2人が出会ってからの1年を季節ごとに描いている。いやはや、エマ・ストーンの目がくりっくりしてて、大画面で見るとすげえなあ。『ゾンビランド』から『ラ・ラ・ランド』へ、たどり着けてよかったなあ。トゥインキー食べてみたい。
しかし、この『ラ・ラ・ランド』にはゾンビよりも恐ろしいものがあった。それは“夢”という呪いである。ロサンゼルスはハリウッドがある夢の街。映画スタジオもたくさんある。ワーナーのスタジオのカフェで、夢にピンそばアプローチしながら働くミアは、オーディションに挑戦して、夢を掴もうとするが落ちてばかり。そんなミアの目の前に現れた(というより耳の前?)のが、ジャズピアニストのセブであった。セブも夢に呪われた人間であった。とにかくジャズへの愛がすごい。ストロングスタイルまっしぐら。この、夢の魔力に触れた2人が、その夢を一体どうするのか、というのがこの物語の重要なポイントとなる。
これを観てから、そうやすやすと「夢を持ちなさい」とキッズたちに言えなくなる気がする。夢を持ち続け、やがて溺れることの危なさ、夢から醒めることの悲しさ。現実に向き合うことが果たして大人なのか、それとも夢の中を泳ぎきって、呪いを打ち破るのか。この華やかな世界に存在する苦い大部分に心が重くなる。
そういう辛い経験が多ければ多いほど、この映画は響くのではないか。そう考えると『ラ・ラ・ランド』はオマージュや文脈を感じさせる表現が多いし、私は中年向けの映画だと認識している。劇中で出て来る『カサブランカ』も『理由なき反抗』も観てないので、骨の髄まで吸いきったかといえば、肯定はできない。言葉の言い回しもおじさん向けだ。劇中に出てくる「消耗戦法だ!」というセリフに「アリかよ!」というツッコミで、笑うことのできるJKがいたらお知らせください。粗品を差し上げます。
ただ、文脈がわからなくとも、歌とダンスの場面は圧巻の一言。なんてったって長回しのような演出で繰り広げられる冒頭のシーン!LAのハイウェイが、渋滞の車の上までもがダンスフロアに変わってしまうのである。アメリカって恐ろしい国!エンドロールの“Traffic Dancer”という表記もかっこいいなあ。
そして、もうひとつは、象徴的な場面となっている2人で迎える朝焼けの公園で踊るタップシーン。鳥たちの求愛行動のようにステップを踏む2人が麗しい。2人が片手を上げて、交差しながらステップする動きを、勝手ながら「ラ・ラ・ランドする」と名付けてします。ああ、私も代々木公園、もしくは港の見える丘公園でラ・ラ・ランドしたい!
この他にも、真似したくなるシーン満載の『ラ・ラ・ランド』。スカート履いていいなら、かっこよく翻したいし、街中やダンスパーティーで歌い出す人、踊り出す人がいっぱいいるミュージカル的世界も体験してみたい。私も突然、街で踊ってみたらミュージカルの一部になるだろうか。無事に踊りきったら、私もきっとTraffic Dancerの仲間入りだ(もしくは不審者)。