『FAKE』を観た。
“あの”事件といえば、今の日本人ならほとんど通じるであろう。“作曲家”佐村河内守を巡って起こった2014年の大騒動。大騒動のその後を、佐村河内側の目線を中心に描いたドキュメンタリー映画だ。っていうかこの騒動もう2年前なのか。光陰矢の如し。今年もなかなか凄かったからなあ。。。ちなみにゴーストライター騒動を大々的に報じたのも文春であった。
ドキュメンタリーの主な舞台はマンションの一室、つまり佐村河内家の中である。騒動前に、“奇跡の人”というファンタジーなイメージが強かったために、忘れていたが佐村河内氏もただの夫、ただのおっさんであり、ただの世帯主である。その世間にこびりついているイメージとの落差をありのまま映しているのがなんだかキュートに見えてくる。奥さんと2人でハンバーグを食べる守、でもハンバーグを食べる前に豆乳を「お腹タプタプになっちゃうよ?」とこちらが心配するぐらいガブ飲みする守、ケーキのデコレーションに感動する守。そうだった、僕たちはこの人と同じ世界に生きているんだ。
その日常生活と同時進行で、未だこの事件を追いかけるメディアとの打ち合わせやインタビュー風景が記録されているが、ここは佐村河内守の伝えたいパートのひとつだろう。メディアにより「真っ黒」にされてしまったことに対する訴え、そして新垣隆氏に対する怒り(もしかしたら嫉妬も含まれているのかもしれない。)この騒動のあとに、新垣隆氏は、雑誌やテレビなどに引っ張りだこになる。テレビの中の新垣隆氏は、板尾創路ばりの真っ白なタキシードで佐村河内の瞳に映る。偶然にもその白が「善」、「清廉潔白」をアピールしているように見えてくる。
佐村河内氏の著書や、NHKの佐村河内氏のドキュメンタリー、実際の文春の記事、また監督である森達也氏の監督の作品を勉強していないので、もっと踏み込めばいろんな考えが出てくると思うが、自分が今持っている情報や知識だけいえば、恐ろしいのが、我々がメディアによる「正義」を鵜呑みにしてしまっていることだ。
2人がそれぞれ開催した記者会見の対応によって(確かに佐村河内氏の会見には反感を買いやすい場面があったが)メディアが「勝者」「敗者」を決めつけてしまった。知らず知らずに主観が入り混じりかけないものを「正義」として信じるのって本当に恐ろしい。「正義」ってみんなが指一本ずつ持ち寄って支えるべきなのに誰かが手のひらで捕まえて、我々はそれを信じてしまっている。その状況に楽しているのだ。過剰情報社会の中で、私達がメディアから容易く情報を手に入れよう、理解しようとすれば、白か黒かで考えてしまったほうが楽なのだ。私も含めて世間がデジタルな考え方になりつつある気がする。デジタルって楽だもんね。ただ、デジタルな考えを信じるってものすごく危険なことだと思う。必ず事象にはグレーなところがあるということをもっと認めて、なおかつ自分の位置はどこであるか考えなければいけないよなあ。
この『FAKE』、ネタバレ禁止の映画みたいですが、この文章を最後まで読んだあなたにとっておきのネタバレをプレゼント。
朝から『FAKE』ぶちこんできました。ネタバレすると猫がめちゃくちゃかわいい。 #movie #fake #森達也
マジで、『ティファニーで朝食を』に匹敵する猫ムービーだと思う。