『太陽』を観た。
予告編の冒頭から鳴り響くサイレン。大きな音で繰り返すサイレンとはなぜこんなにも我々を不安にさせるのだろうか。ウイルスにより、人類は半分以上死に絶え、「ノクス」と「キュリオ」という2つの人類に区別された日本が舞台のディストピア映画。ハイテク化した日本と錆びつく日本の描写が妙にリアルだ。SFだというのに映像効果も過度に使わず、“影”だけで演技するシーンもあるなどとてもニクい。
原作が舞台だったということもあり、映画としては演劇的な言い回しもあって不思議な雰囲気だ。登場人物もとい俳優陣が演劇的な熱量を帯びながら映画の世界観で躍動する。演劇と映画のハイブリッドとも言える。そして、その一番の旨みが入江悠監督によって存分に引き出されている。
入江悠監督の真骨頂でいえば『サイタマノラッパー』シリーズで僕らを虜にした終盤の長回しである。今までの物語のエッセンスをぶちこむ入江悠的長回しが、戯曲ベースであるこの物語との相性が抜群なのである。伏線が綺麗に溶けこまれ、この映画に存在する全てのエネルギーがひとつになる展開はこの映画でも健在で、まさに、太陽のような爆発を持った名シーンである。その衝撃に口をポカンとあけたまま圧倒されていた。この1シーンだけを見るだけでも本当に良かった。上映館数少なすぎるだろう!
物語も考えされるものであった。日本という恵まれた環境であるからだろうか、無意識のうちに自分の周りに「キュリオ」として見ているものがあったり、自分の運命を敗因にするために、無意識のうちに自分の上に「ノクス」を作ったりしていることに気づいた。自分の弱さ、汚さが「太陽」によって照らされた。