『劇場版501』を観た。
2016年の初めて劇場で観る映画がまさかビーバップみのる作品だなんて、三が日から大人数で大画面でドキュメンタリーAVを観るなんて自分でも予想できるだろうか。M-1グランプリのトップバッターがメイプル超合金だったことよりも衝撃的だ。2016年は早速急展開である。この『501』を観たのは全く計画的ではなかった。正月特番でやっていた「芸人キャノンボール」を観てなんとなくネットを徘徊したのがすべての始まりだ。この映画が1週間限定公開されていることを知って、「プロレスキャノンボール」や、その元となった「テレクラキャノンボール2013」に「ロックンロールは鳴り止まない」の主人公のような気持ちを覚えた私は気づいていたら山手線に乗っていた。そう、衝動のままに渋谷ユーロスペースへ赴いたのだ。
“有名になりたい”AV女優を有名にするために、監督のビーバップみのるは501発の顔射を浴びて(しかも501発目は豚!)“顔射の女王”を目指すという企画をスタートさせたものの、あっという間に企画は破綻してしまい、監督は徐々に混沌の中に入っていく。とあらすじをタイプしつつ、まさか年明けからこんな文章を書くとは思わなかった。ちなみに豚は一度に発射する精子の量が人間の100倍多いらしい。これが私が今年はじめて身につけた知識だ。果たしていつこの雑学を使おうか。2016年は早速風雲急だ。
あらすじも衝撃的な『劇場版501』だが、なにより展開が一番ショッキングだった。言うならば監督のビーバップみのるの脳内探検ツアー。もがき苦しむ彼の目線が時系列をいったりきたり投影され、我々はそのぐちゃぐちゃな映像の集団にひたすら振り回される。もうぐちゃぐちゃ。あなたが、思ってるよりぐちゃぐちゃだよ。
ぐちゃぐちゃであるが故に、この映画のジャンルを単に「ドキュメンタリー」とするだけなのはいかがなものか。この劇場版を観た限り、この映画はドキュメンタリー、ラブ、ヒューマン、ホラー、スポーツ、コメディ、スリラー、SFのジャンルを網羅してもまったく嘘ではない。どんな切り口からでも見れてしまうのだ。
しかし、この整理整頓ができていない映像群から自分なりの答えを見出すヒントは「みのる語録」にいろいろと隠れている。特にキーになりえるのがギリシャの考えであるクロノス(客観的な時間)とカイロス(主観的な時間)の話だ。私はこのものさしを持っておいたから、ひたすらみのる監督が撮った映像の大波を捌ききれた(と思っている。)
また、この映像を通じて潜在的に浮かび上がる出演者たちの人間力もすさまじく、たまにボソッと落ちる一言がグサッと胸を劈くのだ。どっかの雑貨屋さんに売ってるオシャレぶった写真とともにポエティックに載っているなんちゃって名言より遥かに効く。
とにかくしっちゃかめっちゃかでこってり、こってり(最後なんか脂マシマシだ)なんだけども、奇跡的に物語性を帯びだしてきたことに感銘をウケてしまった。そしてエンディングの「やさしいスポンジ」という曲がシャーベットのような爽やかさを与えてくれるのも良い。「テレクラキャノンボール」が好みに合う人ならば楽しめる作品。ちょいちょいそのカットも入っているので、「501」を観るならば「テレクラキャノンボール」を観ておいたほうがベターだ。それにしてもああ、人生ってわからない。混沌の連続だ。でも、その混沌が続くからこそ面白いんだろうな。ちなみに、上映後にみのるさんと握手出来たのがお年玉なみに嬉しかった。