『きっと、星のせいじゃない。』を観た。
映画『きっと、星のせいじゃない。』予告編 - YouTube
脚本が「(500)日のサマー」の方という情報を手に入れてから、この映画が気になって気になってしょうがなかった。
勝手に、ジョセフ・ゴードン=レヴィットと自分を重ね合わせた自分は、IKEAデートと”あのベンチ”に座ることをまだまだ夢見てる。罵詈雑言はすべて受け止める。
さて、「きっと、星のせいじゃない。」だけども男の子、オーガスタスのやることなすことがハンサムでさあ大変。言葉の切り返しも最高だし、友人を思いやったゆえのアイデアがとてもCoolで、なおかつ大胸筋の盛り上がりがえげつない。こんな男子、いねえよ。ただ、このハンサムっぷりがだんだん泣けてくる。ずるいよ、ガス。
そして女の子の方の、ヘイゼルだけど、作中一瞬だけ、呼吸用の管を外すシーンがあるんだけど、その時の美しさは息を飲む。メガネを外したら美少女だったどころの問題ではない。神秘的な、夜空にまたたく星さえも知らないヘイゼルの姿。
そのヘイゼルとオーガスタスの距離が近づくアイテムとして「大いなる痛み」という本がある。2人は著者であるピーター・ヴァン・ホーテンに会いに行くんだけど、このピーターが、本当に実在する人だと思ってしまった。
早速、観た帰りに、本屋で海外文学のコーナー探しても無いし、検索かけても0ヒットだし、ふと我に返ってスマホで調べたら、この世にないと知った自分の呆然とした顔を掛け軸に描いて残したい。戒めのために残したい。
で、このピーターの感じが非常にクセがあるんだよね。このクセが良い意味で、単純な純愛映画じゃなくしている。ピーターが効いてくるんですよ。ピーターが!
この映画を区分けするとしたら「難病もの」(中学生、高校生のめったに映画館に行かないような奴らがモールの中にあるゲーセンのプリクラに『〇〇これから観る!』などと落書きをして、突飛な展開なのになんかわからんけど奴らが泣く映画。)ではなく、どちらかというと「終活もの」映画というジャンルか。『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』を思い出した。