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「私とビートルズ」のエピソード、誰でも持ってる説(『イエスタデイ』観たマン)

『イエスタデイ』を観た。


映画『イエスタデイ』予告

 

現代人は生活していれば、必ずザ・ビートルズを聞いている。CMや店内やイベントのBGMで、何度も、そして何曲も耳が覚えている。私だって中学校の英語の授業でビートルズを何度も聞いた。リスニングのウォームアップとして、ビートルズの曲の歌詞の穴埋めを先生が用意してくれた。知らない言語を聞き取れて、意味を知った喜びは今でも身についている。これは特別なエピソードだと思っていない。きっと今を生きる人たちは「私とビートルズ」というエピソードを誰でも持っているはずだ。

 

そう、ビートルズがいなければ、ロンドンに旅行したときにアビー・ロードを渡ることはなかったし、シャロン・テートもマンソン・ファミリーに殺されることはなかったし、ラグビー会場で"Wonderwall"を大合唱する瞬間も訪れなかった。現代はビートルズ以前、ビートルズ以後に別れている。

 

そのビートルズの記憶が突然この世界からいなくなってしまった。というのがこの『イエスタデイ』のストーリーだ。唯一、ビートルズの記憶がある男して描かれるのが売れない歌手のジャックで、再構築されたような世界でその記憶を蘇らせながらビートルズの曲を自分のものとして発表していく。曖昧な記憶を辿るためにリヴァプールへ、リサーチへ向かう場面はなんだか愛が溢れていた。

 

直撃世代でない僕らが聞いても色褪せない名曲なわけだから、現代でもジャック(っていうかビートルズ)の曲は評価されて、ついにはエド・シーランともコラボしたりする。ジャックは自分のものでない曲を新作として発表する苦しみを抱えながらスターダムへ駆け上がっていく。

 

作中は絶え間なくビートルズの曲が流れていて、それだけでもう幸せだ。往年の名曲を初体験として受け止める観客の反応やライブシーンの熱狂は微笑ましい。曲がバズればあっという間に世界に広がる現代ならではの描写も見逃せない。「あの曲がリリースされたときは衝撃だったね」と語るビートルズ古参のアイデンティティ追体験する喜びがこの映画にはある。

 

ビートルズがいなくなった世界であって、ビートルズだったはずの4人がいなくなった世界ではないという描き方も素敵だ。つまり...そういうことだ。再構築された世界であのロック・ヒーローはどういう人生を送っていたのか、もしもの世界を徹底的に発展させている。それだけ僕たちは、ビートルズというバンドが辿ったストーリーが頭に染み付いている。さて、あなたのビートルズに関するエピソードはなんですか?