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カルチャーの住民になりたい

ドッペルゲンガーはどこにでもいる(『アス』観たマン)

『アス』を観た。

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自分によく似た人間はこの世にあと2人いて、その人に出会うと死んでしまう。ドッペルゲンガーに関して、こういう都市伝説を聞いたことがある。ならば、私はかなり致死率が高いと思う。幸いにも、自分に似た人には直接出会ったことはないけども、その自信がある。なぜなら、私の顔が誰かに似ていると誰もが例えたがるからだ。バイトの先輩、親戚のお兄ちゃん、部活の顧問の先生、友達のお姉ちゃんの元カレ...数えだしたらきりがない。少なくともこの日本には私とよく似た人が20人はいるはずだ。外出することがリスクだったりする。

 

『アス』はドッペルゲンガー現象をベースにした作品だ。主人公は、黒人の女性・アデレードアデレードは結婚しており、2人の子宝にも恵まれている。(一姫二太郎とは、なんと模範的な幸せ家族であるか)ある日アデレードの家族はバカンスに出かける。その旅先のビーチは、アデレードが子供の頃に家族と行ったことがある地で、そこでトラウマな出来事を体験したことが示唆される。

 

コテージに滞在中の晩に、彼女たちの家族と瓜二つな容姿をした、赤い服で統一された「私たち」が現れる。この「私たち」が、なんとも恐ろしい。不敵な笑みを浮かべて、右手には手袋、懐には植木バサミ。言わなくても伝わってくる殺意。アデレードの家族より秀でた運動能力で彼らを殺そうとする。ほら、外出することはリスクなのだ。

 

果たしてこの真っ赤な「私たち」は何者なのか、そして、なぜアデレードたちを殺そうとするのか、「私たち」の凶行に怯えながらも、観客は頭をぐるぐる回転させて、物語にしがみつこうとする。監督・脚本を手掛けたのは、『ゲット・アウト』のジョーダン・ピール。使用人のお姉さんめっちゃ怖い‥と思っていたら、超展開にむふふっと笑った記憶がある。『アス』は、ただ「瓜二つの人間が殺しに来た」だけのホラーではないということだ。怖い部分もありながらも、垣間見えるコメディパートにぷっと吹き出す。

 

takano.hateblo.jp

 

ゲット・アウト』同様、アメリカの社会へ皮肉を込めたメッセージが何なのかニヤニヤするのが乙な楽しみだ。早速アップされたブログや、YouTubeの考察をチェックしながらうんうん唸っている。そっか、あのシーンにはこういう意味があったのか、と全体像を踏まえた上で、もう一度観たくなる作品だ。ただ、映画館へ行くのがちょっと怖い。チケットのもぎりをしているスタッフが赤い服の「私」だったらどうしよう。隠し持った植木バサミでズサリと殺られはしないだろうか。実は、映画館で働いてそうな顔ともよく言われるのである。どんだけいるんだよ俺のドッペルゲンガー