砂ビルジャックレコード

カルチャーの住民になりたい

煙のようにたゆたう彼ら(『リバーズ・エッジ』観たマン)

リバーズ・エッジ』を観た。

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最近、生きているか死んでいるのかわからなくなりかけた。外に出たときのこと、スーパーへ入ろうとする私。その瞬間、ふと異変に気づく。自動ドアが反応しない。気づいたときにときすでに遅し。自動ドアにゴチンとぶつかってしまった。ぶつかってよろけた瞬間に開く自動ドア。なんだ、動いているんかい。…ということが立て続けに2回起きたのだ。1回だけなら、なんとなく心の余裕をもてるのだが、近いうちに連続で起きると自信がなくなってしまう。リアルでもネットでも存在感の薄く、気づかれにくい私だが、とうとう機械さえも気づいてくれなくなった。今なら「生きているのか死んでいるのかわからないコンテスト」があれば関東代表は余裕だろう。

 

そんな生死の境を精神的な角度でさまよいながら『リバーズ・エッジ』を観に行った。岡崎京子原作の漫画の実写化だ。同性愛者、過食症、セフレ、引きこもり、様々なものを抱えている登場人物の高校生たちの日常に空虚さを感じる。もしかしたら、程度の大小はあれ、彼らも生きているのか死んでいるのか、その間にいるということに安心感を覚える。

 

本作は原作に忠実に進められている。時代は90年代だ。携帯電話もインターネットも庶民のものではなくて、今よりもっともっと、共感や心の共有ができなかった時代。しかし、エネルギーは有り余っているから、それぞれが抱える悩みが彼らを孤独の鋭端へと連れて行く。ただ、彼らが心を通わせる場所はいくつかあって、それが人気のない学校のエリアだったり、この物語のひとつの象徴が眠っている叢であったりする。特に、死と生という相反する状態が交じりあう叢での、様々な共有。それは言葉の共有であったり、秘密の共有であったりするけど、その共有の瞬間がキラキラと表現されている。

 

我らが二階堂先生は、相も変わらず私の好きな美しい白目をしているし、タバコを吸うシーンが何回も登場するたびに私の細胞が活発に動き出す。今でこそ喫煙は嫌がられるものの代名詞であるが、共有し難い90年代においては、火をもらう行為こそが貴重な共有の場面であったと、繰り返したゆたう煙を見ていてハッと気がついた。SUMIREさんと二階堂先生の喫煙シーンは美しい。

 

美しさはラストにも眠っていて、最後の最後で流れるオザケンの主題歌。これがいいのですよ。

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今日だけで20回ぐらい聞いてる #小沢健二 #アルペジオきっと魔法のトンネルの先 #ラブリー #満島ひかり

曲中の二階堂先生と吉沢亮さんの語りが私の脳をなでていく。