砂ビルジャックレコード

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新涙腺映画(『新感染 ファイナル・エクスプレス』観たマン。)

『新感染 ファイナル・エクスプレス』を観た。


「新感染 ファイナル・エクスプレス」予告編

 

ゾンビ映画って体操種目や課題曲的な一面があると思う。規定演目のように「ゾンビ」「逃げ方」「倒し方・やられ方」「束の間の休息」「ショッピングモール」のように、ゾンビ映画たらしめる要素や形式をふんだんに散りばめながらも、そのゾンビ映画ならではの個性が求められる。観る側も「はあ、こういう解釈なのかー」という気持ちよさを探していたりする。そういうゾンビ映画というジャンルにおいて、この『新感染』は、また新しい感覚を我々に提示してくれた。

 

主人公はファンドマネージャーのシングルファザー、ソグ。ひとり娘のスアンを別れた妻に会わせるため、特急列車に乗って(新幹線ではない)釜山に向かおうとしたとき、その列車にひとりの“感染者”が乗ったことから、物語が始まる。電車の中でゾンビに出くわすという絶望的状況である。

 

この、「列車」×「ゾンビ」という設定をふんだんに生かしているのが最高だ。ゾンビを倒すには、脳漿を銃で狙うなどのセオリーがあるが、特急列車になんてライフルなんてない。そんな状況下でどう彼らがゾンビに襲われずに逃げるか、乗り合わせた乗客のアイテムや、列車という狭いスペースを活かした戦い方、そして新感染におけるゾンビの特性を理解した生き残り方も素晴らしい。なるほど、そういう逃げ方もあるのかと、唸ってしまった。わたしも東京から新大阪ぐらいまで逃げれるのではないかという軽い希望が湧いてくる。(と、同時に朝の満員電車で遭遇したときの絶望さもイメージした)

 

そして不思議なことに、ゾンビ映画なのに泣けてしまう。私が観に行った映画館でもすすり泣く声が聞こえてきたほどだ。通常のゾンビ映画でいうジーンとくるポイントといえば、実は噛まれていた、愛する人を守るために自分の命を犠牲にする、生還したあとのかすかな清涼感、が挙げられるが、その通常文法を超越した切なさが「新感染」にはあるのだ!ソグとスアンの親子の関係性も重要な見どころであるし、その他、列車に居合わせた不特定多数の人物たちが持っている愛のかたちが、さまざまな展開を生み出していく。

 

ゾンビの脅威やスピードをあげる列車という舞台にハラハラしつつも、人情的なドラマでウルウルさせやがる非常に計算された映画だと思う。主人公の職業(ファンドマネージャー)も、しっかり伏線として生かしているのが抜け目ないぜ。