砂ビルジャックレコード

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1995と2017(『22年目の告白 -私が殺人犯です-』観たマン)

『22年目の告白 -私が殺人犯です-』を観た。

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私の好きな監督のひとりである入江悠監督の最新作。『サイタマノラッパー』3部作、そして去年のマイベスト1ムービー『太陽』を作った監督の新作となれば、居ても立ってもいられない。早速観てきた。本当に『太陽』は観てほしいんだよ。

 

takano.hateblo.jp

 

舞台は2017年。22年前に起き、既に時効となった猟奇殺人事件の“殺人犯”を名乗る男が、突如告白本を出版する。大々的な出版発表記者会見、過剰なメディア露出を繰り返すこの男は、なぜこのようなことをするのか。遺族や、犯人を捕まえられなかった刑事、この騒動に飲み込まれる日本国民をも巻き込んだサスペンス・ミステリー作品だ。

 

この物語の背景にある1995年はとてつもない年だった。(といっても私もほとんど記憶がないのだが)第二次世界大戦から50年、阪神・淡路大震災地下鉄サリン事件などのオウム真理教による騒動、殺人事件の公訴時効の廃止など。念のため、Wikipediaをチェックしながらも、羅列される出来事のインパクトに圧倒される。時代の転換点による影響が、世代を超えた2017年で顕在化する。

 

もうひとつの要素として、「法とメディア」の関係性を考えてしまう。時効とはいえ殺人をした人は表現して良いのか、表に立って良いのか。殺人犯の手記というインパクトをモブという立場で浴びてしまう国民たちがいる。出版業界の苦しい事情もあるだろう。「サムの息子法」という言葉もちらっと思いつく。インターネットが発達し、誰もが手軽にメディアとなり、発信できる時代だからこそ作ることができた作品だろう。

 

入江悠監督の特徴である長回しシーンは登場しない。主題歌も感覚ピエロだし、ターゲットは若年層だろう。この1995年を知らない世代を主な対象に、普段見に行かない層のためにも、わかりやすく作られている。が、クライマックスのシーンは入江監督らしい感情の昂りの同時爆発が堪能できる。この狂騒曲が奏でる終着点の演出に、ドキドキが止まらなかった。