砂ビルジャックレコード

カルチャーの住民になりたい

穏便に140分(『ヴィクトリア』観たマン)

『ヴィクトリア』を観た。


映画『ヴィクトリア』予告

 

衝撃の140分1本勝負。ワンカットで、朝4時半のベルリンでヴィクトリアという女性に降りかかった運命の2時間20分を、1秒たりとも逃さずに目撃することができる。単純に、このシームレスな映像体験の精密さに驚いてしまう。俳優陣の演技、車での移動、クライムシーン、カメラワーク。夜から朝になるに連れて明るくなる空。すべてが完璧に連動しているこそ生まれた芸術品である。この映画の台本とか一体どうなっているのだろうか。仕組みが気になって仕方がない。

 

しかし、ある一人の人間を編集無しでずっと見ている状態、追いかけている状態というのは背徳感がある。町で実際にそんなことやったら、警察沙汰だ。この映画のタイトルにもなっているヴィクトリアは、カフェで働くキュートで活発な女性。朝までクラブで踊り明かした後、帰り際に、いかにもやんちゃしてそうな男4人組に声をかけられ、運命のポイントが切り替わる。

 

クラブなんて行ったこともないし、夜更かしも専らしなくなり、穏便に夜をやり過ごしている私からしてみれば、朝日が昇るまで、その男たちと町で青春するヴィクトリアのアクティブな姿勢にドキドキする。いや、あの男たちの容姿を、夜明け前に見たら直帰でしょうよ。。。とはいえ、どこかに忘れてきた、若者たちの機微な青春のドラマが羨ましく見ていた自分もいた。誰もいない朝の道路で縦横無尽に遊んだり、知らないマンションの屋上に潜り込んで、空に聞こえないような大きさで内緒の話。ああ、エモい。

 

とはいえ、そんなやんちゃな奴らには少なからず“つながり”があるわけで。突然の展開に、ほら!ほら!と心の声が叫ぶ。急に物語のスピードが早くなりドキドキが加速する。ヴィクトリアを見るにあたっては、手すりが必要だと思う。このひとつづきの芸術を体験しておいて損はない。そして、全国の女子、果たしてやんちゃな男を愛して良いことはあるのだろうか。そういう風潮、最近あるよ。ここは穏便に、穏便な男を愛そう。