砂ビルジャックレコード

カルチャーの住民になりたい

飽きた

飽きた。飽きてしまった。今まで何文字、画面に文字を入力してきたのかわからないがとうとうあることに飽きてしまった。語尾に「だ」「である」を用いることに飽きてしまった。書いた文章を見なおしするとき、ほとんど「だ。」「である。」で締めくくられる文章を見つけるたびに、「またか。またこいつか」と、土日を無条件でそのアイドルのライブで埋めるキモオタに対する嫌悪感が生まれた。

 

この嫌悪感は自分だけ?そんなに頻繁に「D」を押すことにあなたは何も思わないの?そんなにDを入力したいのならギャルぶって「まぢムカつく」やら「いらないんぢゃない?わら」とか各々のLINEに送信したらいい。っていうかそもそも今の最先端のギャルは「じ」を「ぢ」として使うかわからない。一昔前のギャルの言動を提案していたら大変申し訳ない。そのときは痔の話とかしてほしい。「D」と「I」で入力し放題。ボラギノールとかつぶやいてリアクションをもらったらいい。

 

そうそう、リアクションに変わったの知ってる?Facebookのいいね!のやつ。いいね!、超いいね!などなど数パターンに増えたのは果たして改良なのか否か。義務的な「読みました」機能も兼ねていたシンプルなシステムからひとつめんどくささがステップアップした印象がある。

 

悲しいね!「例:ペットのチョコが旅立ちました」すごいね!「例:富士山でご来光を拝みました」などの用途についてある程度イメージできるものは理解できるけど、いいね!と超いいね!の明確な違いがわからない。大盛りと特盛り?上ロースと特上ロース?竹と松?2時間SPと3時間半SP(翌週残念ながらOAに乗らなかった未公開映像も添えて)?「私たち結婚しました」という投稿に対する元恋人からのいいね!はすごい深読みをしてしまう。「結婚はおめでたいこと。でも、あなたの結婚をお祝いするということは何か悔しいのでいいね!止まりにしてやる。義務いいね!ということぐらいわかっているよね?」いいね!に感情を持たせたことによってクリックひとつのアクションで複雑なストーリーが動き出す。「なんで、あなたは超いいね!じゃないの?」みたいな交友関係のねじれが生まれる可能性も考えられる。Facebookがますます過ごしにくい環境になるなあと考えてたけど、そういえば、Facebookのこと去年ぐらいに飽きてたからそんなに心配しなくていいか。

 

はあ、この文章をたったひとつの制限をつけて連々と書いてきたけども、そろそろ限界が来ている。ご覧のとおり、どうにかこうにかあがいているが、いかんせんもう語尾のレパートリーが無いし、もしかしたら文法的には、実は活用形を使っているんじゃないかみたいな不安もちらほらよぎったりよぎらなかったり。クエスチョンマークに逃げすぎなことを反省しそろそろ負けを認めて、普通の文章を書くことにしよう。もうダメだ。