小声で「テレクラキャノンボールって知ってる?」って聞きたい

『劇場版テレクラキャノンボール2013』を観た。

『プロレスキャノンボール』の元ネタとなったこの映画、チェックせずにはいられなかったのだ。ちなみにプロレスキャノンボールについて、興奮交じりに書いた記事は以下から。


『劇場版プロレスキャノンボール2014』観たマン - たまには文章を書かせてください

 

『劇場版テレクラキャノンボール2013』自体、上映されるタイミングが神出鬼没なもので、今回たまたま曳舟で上映会があるということで、行ってきた。

 


『テレクラキャノンボール2013』 特報 youtube版 - YouTube

 

うんうん、これは最高にいい意味で確実に悪質な影響を与える作品だ。

『プロレスキャノンボール』の演出で、自分の中で不明だった部分がやっとスッキリしたというか、ああ、このオマージュかと納得したり、プラスポイントになる「一番すごかった(強かった)」のルールも、ここはじまりだったのかと色々と発見があった。

 

「一番」ルールもそうだが、映像内でも度々出てくるHMJMでの会議が、バカバカしくて面白い。会議室で真面目に(TOTO的なニュアンスでなく)うんこについて、あーだこーだと語り合いたいし、どういうルールが面白いのか、どんなハードルにしたらドラマが生まれるか考えるカットが眩しい。この「テレクラキャノンボール」の源を生み出した神々の寄り合いも長尺で見たい(10時間Ver.ではどれくらい見れるのだろうか?)

 

そのルールが生み出したドラマは予想以上の映像をもたらした。腹の奥から唸りたくなる衝撃の数々。月なみな言葉で恐縮だが「事実は小説より奇なり」だ。辺鄙な世界にぽつんと存在するドアノブのない扉を開けてしまった事実。地下の倉庫に眠るの箱を興味本位で開けたら怨霊が飛び出してきたような場面が何度も見られる。キャノンボーラー(特に梁井監督)は彼女ら、怨霊を鎮めるべく腰をふるのだ。挿入の数だけドラマが生まれる。

 

プロレスキャノンボールならプロレスラー相手なので、ある程度世界が限られる。それ故にマニア心くすぐられる深いドラマが生まれるんだけど、テレクラキャノンボールでは女性相手なものだから、とにかく世界が広い。光が届かない部分まであるのだ。その光の届かない部分をいとも簡単に見れてしまう作品だから末恐ろしい。

 

曳舟での上映会後に、カンパニー松尾監督、松江哲明監督、元・オーディトリウム渋谷の杉原さんによるトークショーで、「共犯関係」というキーワードが出てきたが、2時間観ただけなのにキャノンボール側の人間になってしまった不思議な感じがある。それだけ見てはいけないもの(そうそう見られないものなんだけど)を見てしまったんだと思う。「すごいだろ?だけど、これ大人には内緒な!」と、思春初期に、見ると怒られてしまうようなものの衝撃のような体験を、まさかこの年で体験するとは。

とうとう結末を知って、晴れて「テレクラキャノンボール」を「観た」側の人間となった私は、共犯として立ち振る舞っていきたい。

  

この「テレクラキャノンボール」、観るチャンスを逃してはならない。

観ない人生と観る人生では、世界の広さが確実に違うはずだ。

でも、見終わったからって言いふらすなよ!