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優しさのうずら

ついにぼくは気づいてしまった。

あくまでこれは仮説なのだが、これが証明されれば歴史的大発見だ。

その発見とは「この世界に優しさのない人なんていない」ということである。

 

私がこの発見に気づいたきっかけは、うずらのたまごである。

 

この文章の読者の方に聞きたい。

中華丼の中にあるうずらの卵、どうしてますか?

 

この質問に対する回答は人によって違うが(といっても数パターンに分かれるだろうが)以下のような答えをする人はいないはずだ。

 

「真っ先に口へ放り込んでは、全力の顎力で噛み砕き潰す」

 

他の中華丼の具である人参、白菜、筍などは、いとも容易く咀嚼し飲み込むのに

どうして①うずらの卵だけは口に含んだとしても舌の上で転がしまくり。

もっとひどいのは、チーム決めする時の運動神経が悪い男子小学生にも勝るとも劣らないほど、中華丼の中で最後まで残しておく。さて、仕上げのうずらといきますかと口に放り込んでも、①の行動を取る。

不思議なことに、うずらの卵に関しては、即咀嚼が出来ないのだ。(そして、即咀嚼と早口で10回言ってほしい)

そうやってうずらの卵を口内で転がす「遊び」の動作というのは一種の優しさではないかと私は思うのだ。そしてその優しさは三年峠の結末のように、転がせば転がすほどに増えていく。

武田鉄矢は、悲しみが多いほど優しくなれると言ったが、うずらの卵を口内で転がし続けても優しくなれるのだ。

 

うずらの卵のぷりっとした白身に幸せを感じながら、ぎりぎり割れない程度の力で白身に歯をたてる。完全には噛み切らないのも優しさなのである。

遊び終えたら、99%の感謝と1%の罪悪感を持ちながらとうとう黄身をいただく。

ありがとう。うずら。美味しいよ。うずら。

 

うずらを転がすことで優しくなった私たち。でも、誰からも「うずらの卵は転がして食え!」とは習っていない。私たちが生まれながらにこの「遊び」を知っているのは、もともと優しいからなのだ。

 

私は優しさに自負があるのでうずらの卵フライも、衣だけ先に食べては、うずらの卵を転がしている。串のフライなので複数転がすのさ。今日もころころ。あー幸せ。