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ネタバレ厳禁の悲劇(『アベンジャーズ/エンドゲーム』観たマン)

アベンジャーズ/エンドゲーム』を観た。いや、観ざるを得ない状況になった。

 

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こんなに映画についての感想ブログを書いているのに、恥ずかしながらマーベル映画はほとんど観たことがない。唯一観たことがある作品が友達と一緒に行った『アイアンマン2』だ。だけども、マーベルシリース自体、予告編はよく流れていたし、露出の多い主要キャラクターのことは、なんとなく知っている。といっても、名前と武器・特殊能力ぐらいであるが。各メイン級のヒーローをサポートするサブキャラまで言えるかというとなかなか難しい。エースは知ってるけど、ローテの4番手、5番手のピッチャーまでは言えるかどうかわからないみたいなものだ。(こうやってすぐ野球に例えたがる)

 

4月26日に『アベンジャーズ/エンドゲーム』が公開された。シリーズが完結するとのCMや広告を到るところでみかけた。特に渋谷駅での占拠度はすごくて、通る人たちの誰もが、これはひとつの社会現象であるということに気づいていただろう。それはそうだ。10年に及ぶ大作の結末をリアルタイムで見届けることのできる唯一の機会が訪れたのだから。

 

せっかくの最終章だ。過去の作品を振り返ろう。復習しようとサイトで過去のアベンジャーズ関連作品を調べてみる。え、え、21作品もあんの?1本が2時間計算として42時間?そしてスピンオフのドラマもある? ユニバース。本当に宇宙だよ。MCU。自分が立っている状況と最終章が歩んできた距離との差に呆れてしまった。これはヒーローが揃った最初の『アベンジャーズ』をスルーしてしまった過去の自分が悪い。そこが分かれ道だったのだ。できることなら過去に戻ってやり直したい。「ご縁がなかった」という大人の言葉で、諦めよう。

 

 

 

 

 

 

 

と、思っていた。だが、GWに事件が起こった。

 

 

 

 

 

 

 

 

それは渋谷TSYUTAYAを散策していたときのことだった。待っていたエレベーターのランプが鳴り、扉が開く。私が乗った後、閉まる寸前に小走りで大学生〜20代前半ぐらいにみえる女性2人が駆け込んできた。開ボタンを押して待つ私。奥に乗る2人。ボタンはたしか扉の両端にあったと思うが、2人は私が立っていない側のボタンを押さない。私と同じ階で降りるようだ。3人だけを乗せたエレベーターは上へ行く。ボタンの前に立つ私の後ろから2人の会話が聞こえる。まるで私がこの箱に存在していないかのように2人はしゃべりつづける。

 

 

女1「アベンジャーズやばかったねえ!」

女2「やっぱ最後って感じだった!」

女1「この後大丈夫かな?だって(ネタバレネタバレネタバレネタバレ)じゃん」

女2「確かに 笑」

 

 

 

 

 

 

え、マジで?

 

 

 

 

 

 

 

こいつぼそっとアベンジャーズの結末的なこと言いやがった。『アイアンマン2』しか観ていない私だって、それはネタバレだって、シリーズを締めくくってるなあってわかるぐらいの展開をぼそっと言いやがった。仮に、まだエンドゲームを観ていない人が乗っていたとしたら…みたいなこと考えないのか?あまりにものんきな会話をする2人の想像力の欠如に怒りで震えだす。とにかくこいつらから離れたい。エレベーターが到着した途端、私は2人を置き去りにして飛び出した。こいつら2人には暗証番号絶対教えない。

 

許せない許せない…この2人がこの先観る映画が客寄せパンダ的な俳優が吹き替えしているものでありますように。たとえ日本語版であっても。この2人がこの先観る4DX映画で顔にかかる水しぶきが臭くありますように。この2人が朝起きるとき、1日先の未来から来たというやつから全ての出来事を聞かされますように。令和で初めて怒った案件である。公開中の人気映画のネタバレを渋谷という不特定多数が歩く街で堂々と話すなんて重罪である。露出狂である。

 

思い出すたびに蘇る怒りと悲しみ。これを打ち消す方法はないものか。そうか、ひとつだけあった。映画館で確かめれば良いのだ。万が一の可能性だが、その女2人が私を騙そうとして適当に嘘をついた、、、というポジティブも甚だしいが、、、ということもあるかもしれない。復習はしていないが、私にはこの荒ぶった感情を鎮める義務がある。敗北から立ち上がる戦士のように、私はエンドゲームを公開している映画館へ向かった。

 

前作の『インフィニティ・ウォー』からつづく宿敵サノスとの戦いが完結するという。(サノスは指パッチンをした人という認識で観ています。)なんだ、アベンジャーズも復讐に向かっているのか。勝手に共感して、私もアベンジャーズの最後方にいる気分になる。嬉しいことに、偶然にもスクリーンの中には『アイアンマン2』に出てたアイアンマン、ブラック・ウィドウ、ウォーマシンが出ている。わかる、わかるぞ!結婚パーティーで馴染みの知り合いを見つけたような安心感に陥る。

 

あと、ソーとハルクとキャプテン・アメリカと、、、アライグマみたいなやつはなんだか見たことあるぞ。親近感がわき始めてきて、正直見たことない人もわかる気がしてきた。ところどころつかめていない伏線がありそうだけども話の大枠は理解した。

 

上映時間が3時間以上もあったみたいだが、そんなことも感じさせぬまま話は進み、いよいよ最終決戦の場面。これでもかとヒーローとヴィランが左右から押し寄せてくる瞬間に鳥肌が立つ。主力級のヒーローたちが個の力、そして団結力で続々と敵をなぎ倒す瞬間も爽快だし、サブキャラの好アシストにも思わず声が出そうになる。なんで今まで私はMCUを観てこなかったんだろうと、後悔すると同時に、予備知識が少なくても全然楽しめるアベンジャーズの画力に感動していた。

 

もちろん、あの女ども2人が言ったことは本当に起こってたよ!!嘘じゃなかった。。

 

間違いなくスクリーンで見に行ってよかった作品だった。今となっては、あの女ども2人と同じエレベーターに乗っていなければ、ずっとこの結末を知ることなく、人生を過ごしていたのかもしれない。そういう意味では、違う世界線に導いてくれたおしゃべりガールズには感謝するべきなのだろう、悔しいが。

 

ただ、ただボソッとネタバレ言うやつ許さねえからな!!!関係者間のみの空間でやれ!!待ち合わせとかで使ったお手元のLINEでやれ!!そうだな、私も気を付けないと。

 

なんかいろいろ(GWのこととか)

悲しい気持ちになった。初めて入った飲食店でトマトソースのパスタを食べていたら壮大に白いシャツに跳ね回し散らかしてしまった。すごい気をつけていたのに。ソースの具が重いなあと、パスタごと少し強引に持ち上げたのが不用心だった。フォークをすりぬけ更に叩きつけられるパスタによって被弾。マシンガンで撃たれたかのような胴部を、くしゃっと丸めたおしぼりで高橋名人のように叩く。

 

白シャツでトマトソースのパスタを食べようとしたのが間違いだったのかもしれない。お昼時に通りを歩いていて、偶然見つけたイタリアンの看板。看板の矢印は地下を差していて、誘われるがままに入った。

 

入店すると、レコードやギターが飾ってある。店主の趣味のようだ。席数が少ない店内はピークを過ぎたからから他のお客さんも少なく、静かな時間が流れていて、「隠れ家」という表現が似合う。初めて入った店ということもあり、慣れない空気感が知らず知らずのうちに私の感覚を狂わせていたのかもしれない。

 

会計を済ませ、店のドアから地上へと続く階段を恥ずかしそうに上る。白シャツでも、トマトソースパスタを食べても大丈夫だろう、紙エプロンもらわなくていいだろう、ソースが飛ばないだろう、という慢心が招いたことだ。これからは「かもしれないパスタ」を徹底していこうと誓った。

 

そんな悲劇もありながらも、しっかりと獲得した10連休の備忘録。遠出をせずに、あるがままに過ごしました。GWの初っ端は友人と代々木上原の按田餃子へ水餃子を食べに出かけた。

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按田五輪#按田餃子 #餃子#anda2019#tokyo2020#代々木上原住みたいおじさん

 

はじめて降りた代々木上原駅は静かな雰囲気。私がぼんやり抱いていたイメージ通りの閑静さだ。まだ夕暮れ時は寒いけれど、通過する電車の音はどこかあたたかい。按田餃子はいろいろなメディアで紹介されたお店ということもあって、行列が出来ていた。

 

お店に入るまで1時間ぐらい待っていたのだけれど、その間にお持ち帰りを買って帰るひとたちが何組かいて、その誰もがおしゃれに見える。家族連れの客もいて、きっと夕飯のおかずにするんだろうなと、わいわいとした団欒を妄想する。そんな代々木上原の空気を纏ったひとたちへの憧れを抱いてようやく入店 。私は食が細いほうなのだけれども、あっという間に注文した水餃子とお茶碗サイズのご飯を平らげてしまった。

 

特に、机にあった「味の要」なる調味料が魔術であった。クミンやらコリアンダーが入った黄土色のスパイスペーストで、水餃子につけるだけで激変してしまう。ナチュラルメイクな女の子が突然、目鼻立ちの際立つメイクをして現れたような衝撃だ。どっちの女の子も好きなんだけど、そのポテンシャルを引き出す味の要に完全”幸福”せざるを得ない。レジ前で味の要が売っていたものだから、思わず自分用のお土産に買ってしまった。後日、スーパーで買ったお惣菜の焼餃子に付けて食べる。ちょっとカレー風味でありながらガツンとくる感じがたまらない。

 

味の要が入った瓶には、ゆるキャラっぽいデザインが描いてあって、冷蔵庫のポケットで眠っている。早く、次の登板を与えたいところである。そのゆるキャラのあだ名は「潤ちゃん」にした。

 

平成から令和になる瞬間は押上方面へ。なんでも、スカイツリーがこの日だけは24時以降も営業を行い、改元のタイミングに合わせたライトアップをするとのこと。しかし、私と同じ考えの人はたくさんいて、スカイツリーに到着した頃にはチケットが完売。平成最後の敗北である。雨の中、同じく敗北したものたち数十人と、揃わないカウントダウンをしながら、ライトアップの瞬間を見届けた。靄の中、日の丸色に染まるスカイツリーを見て、わずかではあるが、令和最初の勝利を手にした。

 

https://www.instagram.com/p/Bw4tRLKBXXr/

令和こそ売れたい#happynewera #tokyonight #tokyoskytree #nightlights

 

 

遠出をしなかったからGWの期間は映画館かスマブラかストリーミングサービスをサイクルするような生活。特にNetflixの「セックス・エデュケーション」が素晴らしくて一気見してしまった。

 

スクールカーストが蔓延るイギリスの高校で、多様な性の悩みを抱える登場人物たちの脆さを(私が大人になったからかもしれないけど)見守りたくなる。母親がセックス・セラピストで、本人自身も思春期ならではの性に苦悩するウォールフラワー的な主人公・オーティスが、学校で、カースト上位の性の悩みを聞く場面だけ、立場が逆転するおかしさもある。と、同時に立ち上る『ブレックファスト・クラブ』の薫り。各話、残り1シーンの一筋縄では行かない結末の余韻を感じている間に、次の話が始まってしまう。で、見ちゃう。やめられない止まらない。終わっちまった。はやくシーズン2を心待ちにしている。

 

英語をヒアリングするという意味でも興味深い。バンバン性に関する用語が出てくるし、これは一種の医学ドラマといっても過言ではないだろう。一部のNetflixは、英語字幕に変更して見ることができるのだけども、何度も連呼されている言葉を英語字幕で見たら、 高校生のときに辞書で興味本位で引いたVから始まるスペリングが登場して、「あ、こういう発音するんだ」と学びの場にもなった。

 

好きなセリフは、生徒会長で水泳もできる文武両道キャラのジャクソンが朝練に行く場面でコーチから活を入れられる場面での一コマにある。

 

コーチ「成功が努力より先にくるのは?」

ジャクソン「辞書の中だけ!」

 

こういう言い回し大好きだ。英語字幕で見ると成功はsuccess、努力はworkで、英語でも日本語でもこの言い回しが成立する。オリジナルの言い回しかと思って調べてみたらヴィダル・サスーンの残した言葉らしい。にくいこと言うよね、ヴィダル。

 

そんなGW明けに公開されたEnjoy Music Clubの「東京で考え中」が、働きたくないモードに移行しそうな私を食い止めるぐらい身にしみた。

 


ENJOY MUSIC CLUB「東京で考え中」

 

東京で一人暮らしする身としては、選択肢が多すぎるこの街で、この電脳世界で、ささいなことでも悩んでいるのが私だけではないということに安堵を覚え、無駄と公開してしまいそうなシンキングタイムを祝福するような後半のベルの音に救われる。RHYMESTERの『ちょうどいい』の延長線の世界にいるようで、ほんとに、煩悩とだったら、いつでも踊っていられるよ。

 

そして、この時期は短歌賞の締切が設定されている。何が正解なのか不正解なのかわからないんだけど、出力しやすいフォーマットで表現できるのだから、とにかく自分の好きなようにやるしかない。煩悩と踊りながらもなんとか提出したい。 

 

モラトリアムとコンドーム(『あの日々の話』観たマン)

『あの日々の話』を観た。


映画『あの日々の話』予告編

 

コンドームというものを初めて目にしたのは、中学生の時だったと思う。「やんちゃ」に分類されるクラスメイトが教室に持ってきて、休み時間にそれを膨らませてデコピンでパチンパチン弾いている。当時の私は、この状況についてよくわかっていなかったけど、無茶をしているっぽい空気感に笑ってしまった記憶がかすかに残っている。

大学生になって、コンドームも使いこなせるようになった私は、ついに、カード状になってるだけで笑えるようになった。講義中の大教室で突然友達がコンドームを配りだす。あれ、なんで面白いんだろうな。きっと、「ふたりのために使うはずのコンドームを、あからさまに不特定多数の状況で見せびらかす勇気を称えるための笑い」なんだったのかな。学校という環境も影響しているのかも。兎にも角にもなぜか男は公共の場で友達が取り出す突然のコンドームに弱い気がする。

 

鑑賞した『あの日々の話』もコンドームを突然見せびらかして爆笑するというくだりが描かれていた。よかった。世の男子大学生は、コンドームで笑うのだ。万が一、イロモネアに出場するとなったら内ポケットに忍ばせとこう。0.02でステージクリアだ。『あの日々の話』は、同名の演劇をもとにした映画で、ある大学サークルのカラオケオールをする一夜が描かれている。さっきのコンドームのくだりもそうだが、深夜のカラオケボックスのリアリティに少し恥ずかしくなる。

 

例えば、冒頭で「おもろい」を連呼する大学生たち。登場人物の中で、関西出身と思われるのはひとりだけ。もう、それは「おもろい」を使っている俺たちが「おもろい」と錯覚しているだけであって、外(=観客)から見れば面白くない。密室に集う大学生ならではの面白くなさが痛々しい。だけども、その状況に遭遇したことがあるから理解できるし、有り余ったエネルギーが上手に空回りしている場面が微笑ましくも思える。所詮はある大学のあるサークルという小さい社会での話。でも当人からすれば、それが彼らの住んでいる世界なのだ。どこかカラオケボックスが社会から避難することを許されるシェルターのように見えてきた。

 

密室劇ということもあり、会話の展開もめまぐるしい。さっきまで先輩・後輩のきっちりした縦関係だったのに、ある話がきっかけで一気に立場が変わったりする。クライマックスではある事件が勃発して、登場人物同士で言い合いになるのだが、カラオケボックスの窮屈感とオールの疲労感で少し精神が崩壊している感じが辛面白い。ときおり聞こえる他の部屋の歌声が救いで、ラストオーダーのコールが朝の訪れを知らせる瞬間の虚無感にホッとさせられる。

 

個人的には社会人を経て大学生になった、小川というおじさんがツボだった。大人のポジションでなんとか馴染もうとするが、痛感されるジェネレーションギャップ。多分、小川さんの言葉で言えば、この瞬間は「オール」でなく「徹夜」なんだろうな。そして物語の中で明らかになる衝撃の事実を示唆するどこか物悲しい背中。社会を経験したことのある人物が、モラトリアムを許されるシェルターにいるだけで、大学生たちの可笑しみがグッと深くなる。すでに大学生を卒業した人たちには小川さんの目線が一番近かった人もいたのかもしれない。

 

鑑賞後、来場者プレゼントとしてコンドームをひとつもらった。この映画で重要なアイテムとなるコンドームを配るという、粋なはからいにニヤッとする。なんだ、まだ俺、公共の場でのコンドームに弱いじゃん。電車で絶対に落とさないようにとカバンの奥に確実にしまい込んで帰途についた。