砂ビルジャックレコード

カルチャーの住民になりたい

博多・長崎たびの記録12(終)

長崎最終日。そしてこの、九州旅行の最後の一日。いつものように(といっても3日連続程度だが)、ホテルの朝食ビュッフェでスムージーを流し込みながら、目を覚ます。

 

早々にチェックアウトをして、長崎駅方面へ。まだ周っていないスポットめぐりが最終日のプランだ。昼食のことをダラダラと考えつつ、駅の近くを散策していると気になるカレー屋さんを見つけたので迷わずイン。本当は別のトルコライスへ行くつもりだったけど、明らかに外観が美味しそうだったので、その長年の勘を信じることにした。

 

結果から言えば、さすが俺。

 

https://www.instagram.com/p/BTsgYLtjdZ0/

ふと見つけたカレー屋さんの外観を信じて食べてみたらめちゃくちゃ旨かったあああ 長崎大好き度が急上昇 #curry #chickenkorma #チキンコルマ2 #マドゥバニ #カレー大好きマン

 

駅前にあるマドゥバニというカウンターしかないお店の「チキンコルマ2」である。料理名にバージョンがついていることは衝撃的だったが、さすが2。やわらかくほどけた鶏肉から溢れ出すスパイスの旨みよ。汗腺を全開にしながら平らげた。バージョン2界隈でいえば、これは関口宏東京フレンドパークⅡ以来の革命ではないでしょうか。

 

近くのコンビニでアイスを買って、チキンコルマ2の辛さを癒やしつつ、今度は長崎平和公園へ。思わずジェスチャーをしたくなる平和祈念像を見る。公園中で聞こえる水のせせらぎに、凪のような気持ちになる。

 

そのまま徒歩でずんずん進み、今度は浦上教会へ。頭部しか無い被爆のマリアを見る。痛々しい顔で現在までその悲惨さを伝えるマリアは黒い涙を流していて、私の心は痛めつけられる。教会内の資料に載っていた短歌に目が行く。頭のなかで朝焼けの光と教会の鐘の音が層になって長崎の街に広がっていく場面が再生されていく。

 

新しき朝の光のさしそむる荒野に響け長崎の鐘永井隆

 

旅行に来たと思われるギャル3人組が、セルカ棒持って浦上教会の中に入っていきましたが、教会内撮影禁止ということを知って、すぐ出てきたのはなんか面白かったです。

 

 

もう少しだけ、時間があったので、今度は山王神社というところへ。福岡のバーで、聞き込みをしたときに長崎情報として教えてくれた場所だ。ここには原爆で片側が失われた鳥居がある。

 

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無理に飾られることなく階段を見上げれば突然その鳥居が現れる。近くには壊れてなくなってしまった鳥居の欠片も置いてあった。被爆のマリアや、一本足鳥居みたいなシンボルが、この街の歴史を無言で告げてくる。この過去の上に、僕はいるわけで、色々な文化が混じり合って平和な今を幸せに思う。

 

その山王神社に猫がいたので共有します。猫とか全然興味ないのに、 東京の生活で出たことのない感情があらわれている。

https://www.instagram.com/p/BTsyTkKjj1_/

世界一かわいい動物、神社をウロウロしてる猫説 #cat #catsagram #説立証

 

足もパンパンだし、帰りの便も近づいてきたので長崎駅から空港へ脱出。おみやげをいくつか買って、飛行機へ乗り込む。機内で少し寝ていたら、あっという間に外の光がにぎやかになってきた。羽田に着陸しそうなときに、ふと、小沢健二の「流動体について」が脳内に流れる。そういえば、この曲を聞いてから飛行機にのるのは初めてだった。

 

羽田沖 街の灯が揺れる 
東京に着くことが告げられると
甘美な曲が流れ
僕たちはしばし窓の外を見る

 

歌詞のとおりに、甘美な曲を聞きながら、ヘモグロビンのように街脈をながれる光たちを眺める。到着音を”甘美な曲”として認識して聞くだけで自分が高等な生き物になったみたいだ。名もなきものを、文句なしの名称で名付ける人って本当に天才だ。徐々に光が、見たことある街に変わりゆくのがなんだか惜しい。

 

と、最後はオザケンへの感動で終わってしまいましたが、九州旅行のお話はこれまで。思ったより長くなってしまいましたが、お付き合い頂き(お付き合いいただいた方がいたら)ありがとうございました。

 

また、旅に行くときにでも書きますね。

 

CANのジャケットのモンスターみたいのが現れて息苦しい東京壊しちゃえばいい(『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』観たマン)

映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』を観た。


『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』予告編

 

原作を映画化した作品は数多い。小説やエッセイなどが主なものだが、この作品は詩が元になって作られているところが面白い。私は大変申し訳無いが、原作を読んでいない。おそらく原作の言葉を用いたセリフもあった。詩の生み出す余白を、どう映像で表現するのが、どうドラマにするのか大変興味を持ったのでこっそりと観た。

 

主人公は石橋静河池松壮亮。登場人物のほとんどが窮屈な都会で窮屈な生活をしている者たちだ。パンケーキマストバイなんて単語は登場せず、生き延びるために彼らは働き、わずかな余暇を楽しむ。そんな描写に共感しつつも、どこか見下している自分がいる。

 

池松壮亮が、日雇い労働者を演じているのだがこれがたまらなくいい!この日雇い労働者の群れを演じる池松壮亮松田龍平田中哲司の3人は、日雇い労働者の配役として最高クラスなのではないでしょうか。ブルーカラー三羽烏

 

東京で生活するものとして、 息苦しさは毎日感じるものだ。息苦しくなって、視界がだんだんと狭くなる。都会が生み出す悪循環。劇中にも出てくる格安居酒屋のシーンも喧騒喧騒喧騒で、観てて頭が痛くなりそうだった。ただ、そのなかで心がストンと落ちる瞬間にニヤッとした。みんな息苦しいんだよ。心を大きくして共感していこう。

 

そんな、東京の若者の群青色の日々を描いたこの作品のラストに流れるのがThe Mirrazの「NEW WORLD」なのがずるい。あの疾走感あふれるロックナンバーを、自分が映画監督だったらエンドロールに流したいと思っていたのに。。。こうなったら、本多猪四郎が生き返るような怪獣映画作って、Mirrazの曲使ってやんよ!エンディングは「CANのジャケットのモンスターみたいのが現れて世界壊しちゃえばいい」で、館内中がわちゃわちゃと騒ぎ出す。そんな映画鑑賞スタイルもありでしょ。

 

1995と2017(『22年目の告白 -私が殺人犯です-』観たマン)

『22年目の告白 -私が殺人犯です-』を観た。

www.youtube.com

 

私の好きな監督のひとりである入江悠監督の最新作。『サイタマノラッパー』3部作、そして去年のマイベスト1ムービー『太陽』を作った監督の新作となれば、居ても立ってもいられない。早速観てきた。本当に『太陽』は観てほしいんだよ。

 

takano.hateblo.jp

 

舞台は2017年。22年前に起き、既に時効となった猟奇殺人事件の“殺人犯”を名乗る男が、突如告白本を出版する。大々的な出版発表記者会見、過剰なメディア露出を繰り返すこの男は、なぜこのようなことをするのか。遺族や、犯人を捕まえられなかった刑事、この騒動に飲み込まれる日本国民をも巻き込んだサスペンス・ミステリー作品だ。

 

この物語の背景にある1995年はとてつもない年だった。(といっても私もほとんど記憶がないのだが)第二次世界大戦から50年、阪神・淡路大震災地下鉄サリン事件などのオウム真理教による騒動、殺人事件の公訴時効の廃止など。念のため、Wikipediaをチェックしながらも、羅列される出来事のインパクトに圧倒される。時代の転換点による影響が、世代を超えた2017年で顕在化する。

 

もうひとつの要素として、「法とメディア」の関係性を考えてしまう。時効とはいえ殺人をした人は表現して良いのか、表に立って良いのか。殺人犯の手記というインパクトをモブという立場で浴びてしまう国民たちがいる。出版業界の苦しい事情もあるだろう。「サムの息子法」という言葉もちらっと思いつく。インターネットが発達し、誰もが手軽にメディアとなり、発信できる時代だからこそ作ることができた作品だろう。

 

入江悠監督の特徴である長回しシーンは登場しない。主題歌も感覚ピエロだし、ターゲットは若年層だろう。この1995年を知らない世代を主な対象に、普段見に行かない層のためにも、わかりやすく作られている。が、クライマックスのシーンは入江監督らしい感情の昂りの同時爆発が堪能できる。この狂騒曲が奏でる終着点の演出に、ドキドキが止まらなかった。