砂ビルジャックレコード

カルチャーの住民になりたい

なんかいろいろ(読書とかドランとか)

やや睡眠不足だ。この歳になっても24時間の有効な使い方がよくわかっていない気がする。あと2時間あれば、、、なんて毎日思ってるけど、あったらあったでその2時間は睡眠に費やされるのだろう。心と身体が求める欲求に乖離が見られる。録画している番組が溜まっている。カルテットをまだ1話も見れていない私をお許し下さい。そして再生ボタンを押すための小さな勇気もください。

 

時間の無さを嘆いてるけども2月なんて、28日しかない!短期勝負もいいところ。そういえば、昔は稲作作業や農作業が中心の文化だったので、暖かくなる3月から30日=1ヶ月で数えていったために、2月は余り物の日にちでできた月なんていう話を聞いたことあるけど本当なんでしょうか。

 

本の話をさくっと。私は基本的に併行して本を少しずつ読むタイプ(なので、カバンは本でパンパン)なのですが、直木賞をとった「蜜蜂と遠雷」は最後の300ページ分はほとんど一気読みしてしまった。

蜜蜂と遠雷

蜜蜂と遠雷

 

 縁もゆかりもないピアノコンクールの世界なのに、読みやすい。その頂点に極めることを許された数少ない神童たちの友情や、圧巻の演奏が文字なのに伝わってくる。小説なのにマンガ的なイメージができたり、音・動画的なイメージが私の脳内で作成される。文字の力、恐るべし。この小説は大きく4人の主人公がいるんだけども、最年長コンテスタントの高島明石に感情移入。スラムダンクといえば文句無しで木暮くん推し(次にリョータ)の私にとって、この明石のストーリーは本当にたまらなかった。明石の“結末”を読んで、おじさん大号泣。この小説、ドトールで読んではいけない。

 

話は変わって、私の好きな映画監督のひとりであるグザヴィエ・ドラン監督の『たかが世界の終わり』がもうすぐ公開されるのです!公開のために仕上げなければということで、まだ観てないドラン作品(『マイ・マザー』、『トム・アット・ザ・ファーム』)を借りて、“ひとりドラン映画祭”をしたのであります。

 

一貫して「母親との確執」や「同性愛者として生きる世界の閉塞感」をテーマにしていて、特に初期の『マイ・マザー』はそのテーマが色濃く出ていた。ただ、なんとなく違和感を覚えたのは同性愛者に対する風当たりの強さ。今も強い部分はあるけども、やはりLGBTという言葉が流行った現在だと、劇中の一部の登場人物の感情に納得しにくくなっていた。『マイ・マザー』が2009年の作品だから、たった8年で変わる世界の感覚と、自分の見方に気づく。

 

予習もしっかり終えて、『たかが世界の終わり』は公開日に観に行く。(もちろん席もおさえた!)冷たい風に吹かれながら、Wonderwallを口ずさんで映画館まで行けたら最高だ。

takano.hateblo.jp

 

おのののかせたい

 

おのののかをおののかせたいのさ

おのののかをおののかせたいのさ

 

おのののかをおののかせたいんだ

 

おのののかの後ろに陣取って

大声出したらおののくだろうか

 

おのののかにペンを渡すとき

おもちゃのヘビをあげたらおののくだろうか

 

おのののかと日本一怖い

お化け屋敷に行ったらおののくだろうか

 

おのののかにシリアルキラー

話をしたらおののくだろうか

 

とにもかくにも

おのののかをおののかせたいのさ

おのののかをおののかせたいのさ

 

おのののかをおののかせたら

僕のことを好きになってくれるかな

 

おのののかをおののかせたら

逆に僕を嫌いになるかな

 

おのののかをおののかせたら

怖い人たちに目つけられるのかな

 

おのののかをおののかせたら

毛穴が開くほど怒られるのかな

 

だけどやっぱり

おのののかをおののかせたいのさ

おのののかをおののかせたいのさ

 

おのののかがおののいたら

おののののかになるんじゃないかな

 

おののののかがおののいたら

おのののののかになるんじゃないかな

 

おのののののかがおののいたら

想像通りにおののののののか

 

おののののののかを抱きしめたら

おのののかに戻るんじゃないかな

 

抱きしめたいから

 

おのののかをおののかせたいのさ

おのののかをおののかせたいのさ

 

おのののかをおののかせたいのさ

おのののかをおののかせたいのさ

 

takano.hateblo.jp

 

大将と代表と将太(『LIVE FOR TODAY-天龍源一郎-』観たマン)

『LIVE FOR TODAY-天龍源一郎-』を観た。

www.youtube.com

 

好きなものと好きなものとが組み合わさるのは本当に嬉しい。幸せはここにあるのだと認めてしまう。今回は、映画×プロレスという私のよだれダラダラもの。一昨年に引退した“ミスタープロレス天龍源一郎の、引退発表から引退試合までの、いわゆる“引退ロード”に密着したドキュメンタリー作品である。

 

ちなみに、その引退試合、私も両国まで足を運んで、しっかり拝見しましたよ。今もあのメインイベントの観客の声が蘇る。

takano.hateblo.jp

 

もちろんこの映画での主人公は天龍源一郎なのだが、もうひとりいる。それは天龍の愛娘の紋奈だ。ひょんなことから天龍の所属する団体の“代表”になってしまった彼女が必死になって、団体を切り盛りし、父親の最高の“死に場所”を探す旅も見逃せない。

 

ナレーターはまさかの染谷将太くん。染谷くんはやっぱりガチだ。染谷くんも舞台挨拶に来ると聞いて、おじさん行っちゃったよ。

https://www.instagram.com/p/BQE2wTTDoKL/

朝から天龍さんに会えて血湧き肉踊ってる。画素で水彩画みたいだけど。 #revolution #livefortoday #thunderstorm

染谷将太菊地凛子と3人で後楽園ホール行きたい。できれば大日本。 

 

映像の中の、65歳の天龍の傷だらけの体が本当に痛々しい。リングシューズを脱いだほっそりとした、素足の天龍や、杖をしながら歩く天龍に泣きそうになる。天龍の家の玄関にも杖が吊り下げられている。プロレスラーが持つことを許されるファンタジーさを消して、ありのままを見せつけてくるミスタープロレスに言葉を失う。

 

もちろん、そのありのままの姿は、リングに上がれば“ぼくらの天龍”になるということだ。親子ほど年の離れた対戦相手に放つグーパンチ!チョップ!映画館に響き渡るチョップの音が心に響く。和太鼓のような重厚感。二度と味わうことの出来ないチョップを浴び、なにかを感じる未来のミスタープロレスたち。この映画では「プロレスは伝承文化」というのがひとつのキーワードになる。見て、受けて、継がれる意志。

 

すべての“引退ロード”をかけぬけ、とうとう引退試合。Thunder Stormが鳴り響く中、最後の勝負の地へ向かう天龍の背中でおじさんはウルウル。65歳になっても、20代にけちょんけちょんにされながらも勝とうとする泥臭い人間でありたい。