砂ビルジャックレコード

カルチャーの住民になりたい

英雄、色好めど、我ら、透明好む(『フロントランナー』観たマン)

『フロントランナー』を観た。


映画『フロントランナー』予告2(2019年2月1日公開)

 

誰しも出たいTV番組ってひとつやふたつあると思う。テレビっ子の私は数え切れないぐらい出たいものがある。特に、トークゲストとして迎え入れられるものは、密着取材を通して、その人のこだわりや特異性などがふんだんに伝わる内容のものだ。前者で言えば、A-Studioや徹子の部屋、後者で言えば、情熱大陸やアナザースカイにプロフェッショナル。おじさんだけどセブンルールにも出たい。あわよくば自分の名前が急上昇ワードランキングに入ることまで夢見ている。

 

私が生きている限り、かつ、これらの番組が続いている限り、ワンチャンはある(と信じている)のだが、残念ながら出演の夢が叶わずに終わってしまった番組もある。その一つがトップランナーだ。ええ、このトップランナーと名前が似ている映画がやっていたので観たという流れでございます。ちなみにフロントランナーとは、劇中でも説明されるが「最有力候補」という意味を成す言葉である。

 

1988年のアメリカ大統領の最有力候補であった民主党のゲイリー・ハートは飛ぶ鳥を落とす勢いでその頂への道を驀進していたのだが、とある日に報じられたスキャンダルによって、没落の一途をたどる。追及を受けるゲイリー・ハートと、彼を守ろうとする陣営、彼らに対するはそのスキャンダルの真相を求めて取材を行う記者たち。この政治家とメディアとの攻防がスリリングで息を呑む。

 

「普通の人?次期大統領最有力候補だぞ?」という冒頭のセリフが頭に残る。大統領の候補となるなんて選ばれし者の世界だ。しかし、選ばれし者が聖人君子とは限らない。聖人君子が必ずしも政治がうまいわけでもない。なんなら浮気のひとつやふたつもしている方がよっぽど庶民の気持ちがわかる人間かもしれない。一体私達は、政治家などの人前に立つ人間に何を求めているのか、今一度考えさせられる。ただ数十年経ってもぼくらは清廉潔白な英雄というどこか相反する人間を待ち望んでいるのだ。

 

 

そういう意味で、ノースキャンダラスで透明性の高い私は、なにがしかの「最有力候補」になれる条件のひとつを満たしていると思うんだけどなあ。はあ、オファーを頬杖ついて待ってるのだけども来ないかな。はやくかっこつけてしゃべりたいよ。

 

平行感覚の欠如

この世に平らなんてない、と思っている。正確に言えば、平らを生み出す仕組みがわからない。道路や床、廊下。なにもかもが異常なものに思えてくる。当たり前のように平らな上を歩いているし、生活しているんだけども、そのことを考え出すとクラクラしてしまう。 

 

なぜ私以外の人間はこうも平らを生み出すことが上手なのか。平ら下手な私にとって死活問題なのがテイクアウトだ。まっ平らな弁当を家に持ち帰ろうとするだけで、私の生き延びる力はグングン低下していく。

 

最近のスーパーだとセルフレジが導入されているところも多くて、一連の購入動作を自分自身で行うのだが、平弁のときは命がけだ。買い物かごから取り出す時点から丁寧に平らに取り出し、バーコードを読み取る。一番の難関はレジ袋へ入れることである。あらかじめ袋を広げマチの部分をしっかり確保して、その平弁をそっと置く。すやすや眠った甥っ子をベッドで寝かせるがごとく。そして、ゆっくりと持ち手を掲げ、平行になったことを確認し、スーパーまで出る。ここまでは完璧。完璧だ。

 

自動ドアを出てからが最終ステージ。家までの数分の距離を歩く。幸運なことに今日は人通りも少ない。弁当の平行にだけ注意すればいい!赤信号で止まって、平行ぐあいを確認する。問題なし。青までの時間にスマホを見る余裕ができた。あとは3分の2ぐらいで僕の悲願は達成される。

 

あれ、あのテレビ番組、録画してたっけ?ふと未確認情報が浮かび上がって、もう一度スマホをチェックする。あら、もうすぐ始まるではないか。少し早足になる帰り道。もちろん急いでいるが頭の片隅には弁当の平行を気にしている。左手に異常はなし。かまわず進め。

 

家までは、あと1つの横断歩道。幸いなことに青信号。このままのペースで歩けば番組の放送には間に合いそうだ。歩行の回転数もあがってくる、、、おっと信号が点滅しだした。ちょっと小走りすれば間に合う距離だ。シャトルランでまだまだ余裕なやつみたいなペースで、横断歩道を渡り切る。小走りから早歩きに戻した瞬間、左手の違和感に気づく。そう、その時点ではゲームオーバーだったのだ。

 

逆バンジーのように縦になっているお弁当。もう、持ち手のバランスを整えても平らに戻ることはないことを確信した私は直に弁当を手のひらでつかみ、心の中では半べそをかいて家路を急ぐ。平行な家の床の平行なテーブルの上においたお弁当の白米はしっかり煮汁を吸っていた。ああ銀シャリが食べたい。

 

チワワと相性の悪いもの(『チワワちゃん』観たマン)

『チワワちゃん』を観た。


1/18(金)公開 映画『チワワちゃん』予告編

 

家から駅までの道すがら、チワワを散歩に連れて行っているおばあちゃんをよく見かける。ゆっくりのペースで歩くおばあちゃんに対して、チワワは身体の全てを使わせ、コンクリートの道路を跳ねるようにおばあちゃんについていく。たまに、チワワの元気が勝って、おばあちゃんが引っ張られて、2,3歩早足になる。静と動の散歩を後ろから見ながら私は思った。チワワとおばあちゃんは相性が悪い。

 

『チワワちゃん』の中心人物、チワワちゃんはまさにチワワを表したような人物描写だ。室内犬的な身長、大きくつぶらな瞳、勇敢さと表現しても良いその人懐っこさ、そして僕が見たチワワの散歩のときのような躍動感。それで苗字が「千脇」というのだから完全なる"チワワ"だ。

 

作中で「チワは…」という称を用いるセリフがあったが、この映画には描かれていないエピソード・ゼロを勝手に想像する。誰かに「チワワ…?」って言われて、「ほんとだ!チワワだね!」と、自分の二つ名が確定した瞬間とか、クラブで出会った知らねえクソつまんない男に「こんにチワワ」と言われて、嫌な顔せずに反応する夜とか容易に想像できる。このチワワらしいチワワちゃんの確立したキャラクター性に見入ってしまう。

 

そんなチワワちゃんが、バラバラ殺人の被害者であったことが明らかになったことから物語が始まる。きっと家族以外の近い人間(もしかしたら家族も含めてかも)の初めての死、同じコミュニティの人の死をきっかけに彼らは過去を回想する。

 

とにかく若さという武器の破壊力がすさまじい。冒頭のクラブでの現金強奪のシークエンス。バッグパスして町を縦横無尽に逃げる私服の若者たちと、それを追いかけるスーツ姿のサラリーマンとの対比が、特権としての若者、無敵モードとしての若者であることを強調している。

 

その無敵モードだからこそできる乱痴気のシーンが羨ましい。こんなにポップでキュートな酒池肉林があるのか。あれ、俺も若かったのに、、、?人生で高くそびえ立つケーキに対してラリアットかます瞬間なんかあるんでしょうか?いや、無いです。私であれば、まず腕の筋肉を鍛えて、奪われた最愛の人の披露宴に乱入する。。。って前提が多すぎる。欲望は混沌的に満たしてこそ綺麗なのだ。

 

 

そんな無敵モードもやがて終わりを迎える。押し寄せる社会の波。就活。離れ離れになる仲間たち、そしてある友人の死。人生の瞬間最大風速的な一日と、モラトリアムの終わりは、それこそオールナイトのクラブ遊びの帰りに見る薄水色の空と少し冷たい風のようだった。しかし、例え生きていたとしてもチワワちゃんの老後は想像できないなあ。チワワとおばあちゃんは相性が悪い。